「祈りを教えて下さい」と言う弟子たちの要望に応えて、イエスの教えて下さった祈りが「主の祈り」でした。(ルカ11,1~4参照)その中で私たちの霊的生活において注目したいのが「誘惑に陥らせないで下さい」と言う祈りです。この意味するところは「陥ることをお許しにならないで下さい」とか「私たちが誘惑に負けるままにさせておかないで下さい」と神様の助けを願うことです。

私たち人間は最初の人の罪によって、弱く、悪に傾きやすいものとなっています。そのため誘惑は常に私たちに付きまとってきます。そこで「誘惑に負けるままにさせておかないで下さい」と神様に祈るわけです。

ある霊的教師は次のように教えています。「悪魔と世と肉とは、神の御子に愛された霊魂を見つけると、これにあらゆる誘惑を送る。このとき、罪がまず提示され、第二に霊魂はこれを喜ぶかあるいは憤る。第三にこれに同意するか拒否する。すなわち誘惑、楽しみ、同意は罪に落ちる三つの段階である。この三段階は、たとえあらゆる罪についてはっきりしていなくとも、少なくとも重大な罪についてははっきりしている。」(信心生活入門IV-3)最初の人間について述べられていることは、この説明ではっきりわかります。「見た目には、おいしそうで、目を引きつけ、賢くなるようであった。」(創世記3,6)そこに同意がないならば、私たちは罪に至らないことを覚えておかねばなりません。

神様に「誘惑に陥ることをお許しにならないで下さい」と祈るからには、それだけの覚悟を持って、誘惑におちいらないように固い決意を持つ必要があります。自分の糾明において、しばしば感じる誘惑がどの種類のものであるかを考えながら、それに抵抗する手段の決心(遷善の決心)を有効に活用することによって、霊的進歩に役立てることが大切です。

「心ははやっても、肉体は弱いものだ」(マルコ14,38)と使徒たちを諭されたイエス様ですが、ご自分も大きな苦悩の誘惑にさらされました。しかし、「私の思いのままにではなく、おぼしめしのままに。」(マルコ14,36)と祈られました。イエス様に倣って信仰の道を歩みながら、残された四旬節の勤めに励みたいものです。

主任司祭 小坂正一郎
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