アイキャッチ用 小坂神父の今週の糧

私が教理の勉強をしていたころは、「悔悛(告解)の秘跡」における要点として、糾明、痛悔、遷善の決心、告白、償いの5つが数え上げられていました。「痛悔とは罪を悔やみ再び罪を犯さないように決心すること」であり、「遷善の決心とは主に背くまいと堅く決心することだ」と教えられました。それではこの2つはどのように違うのかなと自問したのを覚えています。神父様に尋ねても明快な説明をいただけないまま過ぎてしまいました。修道会に入ってゆるしの秘跡をしばしば受けながら、聴罪司祭のすすめを頂いているうちに、これが遷善の決心に通じるものではないかと自分で納得したものがあります。

ところで公会議のあとに出された、色々の教理書や修徳の本などでは「痛悔」と「決心(遷善という言葉ははぶかれていますが)」は一つにまとめられ、決心は独立した要素にはなっていないようです。

「ゆるしの秘跡はよく分からない。どうしたらよいのだろう。」とよく聞かれます。もしかしたらこの「遷善の決心」が、よく飲み込めていないのではないかと、最近思うようになりました。

「ゆるしの秘跡」というと、先ず「回心」が呼びかけられます。そして私たちの多くは、世に言う大回心を求められるような大悪党ではないはずです。そのため、回心の方向が日ごろ神からそれほど反れているわけでもないでしょう。だから糾明にしてもなかなかとらえどころがなく漫然となってしまいがちです。

「遷」とは移る、場所を変える、動かす、かえる、あらためるなどという意味があります。ですから、善に移る、善にかえる、善にあらためる決心などが「遷善の決心」の意味であろうと思います。

そこで、告白をしたとき漫然と「罪を犯さないようにしよう」というような痛悔の決心だけでは足りません。私は「善にかえる」ためにこれこれの努力をようという具体的で、実行可能な、細かい決心を立てて日々努力していくことです。

後ろを向いて、悪かった、今後は改めようというだけでなく、前を向いて、これからはこのやり方で生きてみようという決心を立てることです。これこそ「遷善の決心」です。次のゆるしの秘跡をいただく機会には、この前の決心の実行はどのように展開され、実践されたでしょうかと「糾明」することができますし、自分の努力の結果もはっきりと把握することができます。この大切な「遷善の決心」を立派に定めて努力することが、修徳において重要なことだと思います。

主任司祭 小坂正一郎

おすすめ記事