アイキャッチ用 小坂神父の今週の糧

「21世紀の教会に求められることは『聖性』であり、これは急務なのだ」と前教皇ヨハネ・パウロ二世は強調された。(『新千年期の初めに』30)

「聖性」とか「聖人」とかを考えるとき、マリア様が現れたり、幻を見たり、奇跡を行なったりと考えがちだが、教皇様はこの点を次のように指摘されている。「今は、すべての人に普通のキリスト教的生活の『気高さ』を、信念を持って新たに提示する時です。」(同書31)この「気高さ」こそわたしたちが目指す「聖性」であり、具体的な努力目標である。そのため、どれだけ日常生活を「気高さ」をもって取り組むかが、聖徳の鍵になってくる。

ドン・ボスコの母、マンマ・マルゲリタは学のある人ではなかったが、ヨハネが初聖体を受ける時期になると、教会が遠かったので教会での勉強会に参加できなかった。やむを得ず自分で教理を教え、神父様にテストをお願いして初聖体に備えさせた。その前にはゆるしの秘跡に預からせ、当日はいっさいの雑務をさせず、読書と祈りに専心するように勧め、それを実行させて、「今日は、神様がお前の心を捕らえた日です。」と励ました。(ドン・ボスコ自叙伝p37)

ドン・ボスコが子どもたちの世話を始めて数年たったとき、過労のために倒れ、国許の母のところでしばらく静養した。いくらか回復してトリノに戻るとき、母に「トリノでは賄いの人が要るのですが」という願いに、マルゲリタはその意を察した。今まで慣れ親しんだ土地、家族、友達、教会をおいて喧騒の町、子どもたちのところに向かった。「お言葉どおり、この身になりますように。」その時マルゲリタは58歳であった。(自叙伝p249)まわりではそろそろゆっくりする年ごろであった。

トリノ・バルドッコの家では休む暇もなかった。次々と受け入れなければならない世話されない若者たち。エネルギーにあふれた子どもたちの遊びははやりの戦争ごっこ。マルゲリタが丹精こめていくらかでも子どもたちのためにと手入れしていた菜園も戦場と化し、無残にもふみ蹴散らされてしまうこともあった。「もうこれ以上は耐えられない。もう面倒を見切れない。家に帰らせてちょうだい。」と言って前掛けをテーブルに投げ出すのだった。ドン・ボスコは「お母さん」と言うと壁に掛けられた十字架を指さした。マルゲリタは「そうっだったねえ」とつぶやいて、テーブルの前掛けを取って涙をぬぐい、台所に向かうのだった。(ドン・ボスコの生涯p123)

平凡な日常を非凡に生きる。これが聖性への道である。いかに心の姿勢を高め「気高く」生きるかであると思う。

主任司祭 小坂正一郎

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