アイキャッチ用 小坂神父の今週の糧

今年の四旬節の教皇メッセージは「イエスは、群集を見て、深く憐れまれた」というマタイ福音書の一節(9,36)をその題として、開発に伴う問題について、主キリストが今も一人ひとりの上に思いやりに満ちた「まなざし」を注ぎ続けておられることに思いを馳せながら、わたしたちも同じ「まなざし」をもっていかねばならないことを教えてくださいます。

教皇様は指摘されます。「現代では、いつの時代でもそうであったように、多くの人々が自分たちを襲っているみじめさや孤独、暴力や飢餓による荒廃の中で、自分たちが神に見捨てられた者と感じ取っています。しかし、神は今もなお、喜びと平和と愛を切望する群集の叫びを聞いておられます。」

この励ましに力付けられながら、わたしたちはキリストの「まなざし」をもって物事を、周りを見つめるように促されます。そして次のように述べておられます。「世界のあまりにも多くの人々を苦しめている貧困というとてつもない難題を前にして、無関心と利己主義はキリストの『まなざし』とあまりにも懸け離れています。教会が四旬節の間とくに勧める、祈りを伴った断食と献金は、わたしたちがこの『まなざし』に従う者となるためにふさわしい手段です」

わたしたちに勧められる四旬節の祈り、犠牲、愛の業は一つのものとして関連付けられており、自分の積極的な犠牲によって生じた財貨を祈りの心で愛の業として献金していかねばなりません。この一つでも欠落するならば、真の意味でのキリストの「まなざし」を生きるものにはならないでしょう。

教皇様は「わたしたちが無視してはならないのは、歴史の過程でイエスの弟子だと自称していた人々によって多くの過ちが犯されてきたという事実です。」と述べて、今生きているわたしたちが、その徹を踏まないようにと教えられます。また、慰め深いことばも付け加えてくださいます。「歴史を通して、たとえ憎しみが勝っているように思われたときにも、神の愛の光り輝くあかしが絶えたことはありませんでした。」わたしたちの清い心の発露として今年も四旬節の勤めに励みながら、わたしたちの教会において今日から行なわれる「四旬節の愛の献金」に積極的に取り組んでいただきたいと思います。

(教皇ベネディクト16世の四旬節のメッセージは、カトリック中央協議会のホームページで詳しく読むことができます。)

小坂神父

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