聖家族の父親・ヨゼフ様の「親父力」
イエス様誕生のお祝いに三人の博士たちが来訪されました。彼らが帰った後、主の使いが夜中ヨセフの夢に現れて言います。
「起きよ。幼子とその母トを連れて、エジプトに逃げよ。そして、わたしがお前に知らせるまで、そこにとどまれ。ヘロデが幼子を殺すために探すだろうから」と告げた。ヨセフはおきて、夜のうちに幼子とその母とをつれてエジプトに逃れた。」(マタイ1:13~)
クリスマスの喜びも、ヘロデ大王の残虐非道な幼児殺害で暗闇につつまれます。その中で「聖家族」の運命は、父親ヨゼフの手に委ねられます。ヨゼフは夜中にもかかわらず、文句一ついわずに、的確に判断し行動をとります。「もし神の子なら、何故おん父は責任を取って危険を回避しないのか?」……「天使なら、お空だって山だって何処にでも飛んでいけるのだから、わざわざこんな夜中に人を起こしなど来ないで、自分で助けたらどうなのだ!!それでもあなたは本当に天使なのか!!『天使手帳でも見せて欲しいものだな』」等と言ったりしませんでした。短時間で旅に必要な食べ物等を整え、エジプトまでの道順と危険情報をキャッチし、暗闇の中をマリア様とイエスさまを無事にエジプトまでお連れしたのでした。
この箇所を聖書で読む時に、私はいつもヨゼフ様の父親としての「企画力と実行力」に脱帽します。手元の大まかな地図で調べたら、ベトレヘムから当時のエジプトの一番近い町ペルシウムまで280キロありました。真冬の、生まれたばかりの赤子を連れての旅は、決して生易しいものではなかったはずです。でもヨゼフ様は、黙々とそれをやってのけたのでした。ヨゼフ様の“親父力”躍如たるものがあります。
田中次生神父