天国から、何の断りもなく「極楽・地獄の話」になって、失礼いたしました。10回シリーズで終了する予定でしたが、極楽編を調べているうちに、日本人なら大抵の人が子供の時に聞かされた有名な「地獄館・極楽館」の話に出会いましたので昔懐かしいこの話で終わりたいと思います。

ある人が仮死状態で「冥土」をさ迷っていると、死後の世界の見本市に紛れ込んでしまいました。せっかくのチャンスだからと「地獄館」と「極楽館」とを見学し、まさに「冥土のお土産」にしようと考えました。

最初は「地獄館」です。建物は意外にきれいで 手入れも行き届いた洋館でした。中に入ると真ん中に大きなテーブルがあり、その上に山海の珍味が所狭しと並べられています。周りのお客さんは左の手をイスに縛られた状態で座っており、右手はというと六尺もの長いお匙がしばってあります。それで人より早く、沢山 おいしいものを食べようと我先に食べようとするのですが、なにしろ手が六尺もの長い匙に縛られているので自分の口に入れるのは、ほとんど不可能なのです。でも「山海の珍味を食べたい!!」の一心で努力するので、周囲の人とぶつかったり、他の人の顔に料理を被せたりで、あちこちで怒鳴りあったり、ケンカしたりの状態でした。あまりの酷さに、ほうほうの体で「地獄館」から逃げ出しました。

一息入れて多少緊張しながら「極楽館」に入っていきました。驚いたことに建物・テーブル・山海の珍味・イスに縛られ、手に6尺もの匙を縛られている人々は同じなのに、全員が楽しく、美味しく、感謝しながら美味しい食事を愉しんでいるのでした。よく見ると各自がテーブルの前に座っている人の口に、長い匙でご馳走をすくって食べさせているのでした。交互に繰り返しながら「わぁ!! 美味しい!!」「ありがとう!! このバナナも新鮮よ、食べてみて!!」と言いながらお互いに感謝とねぎらいの言葉を伝えているのでした。人々の笑顔が部屋中を包んでいました。自分のことより、人の幸せを大切に考える人たちの「温かい心」が大きな喜びを作り出していました。

仏教流で言うと、「人間の心」が極楽・地獄を作りだすのです。場所・環境・人々が同じであっても、そこにいる人たちの心いかんによって「極楽館」にも「地獄館」にもなるのです。

主任司祭 田中次生
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