天国の連載を始めた時、ある信者さんから「天国が終わったらその次は『地獄』なのですか?」と質問されました。私の資料を調べたら“地獄”についてはわずかでしたがその中に長崎の川添神父様のものがありました。

長崎教区の年配の神父が「最近の若い神父は、地獄のことを話さなくなったが、あんまり芳しいことではない」と言ったところ、若い川添神父が、「行く必要も無い“地獄”について話さなくてもよいと思う。へたに話したりすると“何か面白そうだな! なんならちょっと覗いてみるか”などと好奇心にかられる輩が出てくるかもしれません」と答えてしまい、もう少し先輩をたてればよかったと反省したそうです。

仏教では、僧源信の「往生要集」によると、128種の地獄があるそうです。それらは8つに大別されます。等活地獄・黒縄・衆合・号叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・無間地獄です。そして地獄極楽は、私たちの心の中にあることを多くの「法話」が語り伝えています。仏教学者ひろさちや氏は、風呂場の例で地獄・極楽の違いを教えています。地獄極楽はちょうど銭湯の男風呂・女風呂のように隣り合わせにあります。地獄湯と極楽湯の作りは、湯船の大きさや洗い場の広さ、水道と洗面器の数など、またどちらも人数的には超満員です。しかし雰囲気は大違いです。地獄湯は、湯がかかったとか、足を踏まれたとかであちこちでケンカの怒声が飛び交い、派手な殴り合いがあります。それとは反対に「極楽湯」はまるで違う。「極楽湯」では、皆が互いに輪になって次々に前の人の背中を洗ってあげているのです。自分は前の人の背中を洗ってあげ、後ろの人が自分の背中を洗ってくれるので、無理して背中を洗う必要もないのです。人々は和気あいあい、自分もきれいになり、ほかの人のきれいにしてあげた喜びもあり、「どうもありがとう!!」とか「ごくろうさま!!」とか感謝と喜びの声で満たされているのです。

地獄・極楽は違う場所ではないのです。そこに住んでいる人たちの「心の持ち方」でその同じ場所が地獄にも、極楽にもなるのです。仏教流に考えて、皆で協力して「カトリック鷺沼教会」を「極楽・極楽湯」にしたいですネ!!

主任司祭 田中次生
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