天国(マリア様の被昇天を前に)

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22)マリア様の被昇天の祝日(8月15日)

聖書の中では聖霊降臨後のマリア様についての言及はありません。したがってマリア様のご死去・被昇天については、すべて聖伝に頼ることになります。

麗しい伝えによると、マリア様は聖霊降臨後ヨハネと一緒に小アジアのエフェゾに行き、17年間生き延びられました。

池田敏雄師の「教会の聖人たち・下巻」には、次のように記されています。「聖母のご死去の折り、世界に散らばって神のみ教えを伝えていた使徒達は、聖トマ以外全員、聖母の枕元に集まってきて、最後の別れを告げた。……使徒たちは聖母のご死去後、泣く泣くそのご遺体を墓に葬った。墓には3日の間というもの、絶えず天使の奏でる美しい音楽が聞こえ、ゆかしい香りがあたりにただよっていたという。3日目に音楽の音がハタと止んだ。ちょうどその時聖トマが来合わせ、せめて聖母の亡骸になりともお目にかかりたいというので墓を開いてみるとご遺骸は見えないで、ただご遺骸を包んだ巻き布だけが残っていた。そこで使徒たちは、聖母が、おん子と同じく3日目によみがえって天に昇ったものと信ぜざるをえなかったそうである」

故松永司教様のお話では、教皇ヨハネ・パウロ2世が、1987年を「マリアの特別聖年」と定めて記念したのは、マリア様は13歳でイエス様のお母様になられたのという計算からということです。マリア様お一人で13年、イエス様と共に33年、キリストの教会とともに17年間、合わせて63年間がそのご生涯ということになります。福岡のある教会では、キリシタンからの長い伝統で、マリア様の地上での生涯を記念して「63回のガラサ・めでたしを唱える信心」があることを伝えています。(みことばの花籠)より。

16世紀初頭、サン・ピエトロ大聖堂の建築主任に任命された、盛期ルネサンスを代表する一人であるラファエッロは、この言い伝えをもとに「聖母マリアの戴冠」を描きました。使徒たちが棺を開けるとマリア様のご遺体はなく、「天的香りを放つバラとユリで満ちていた」という麗しい言い伝えをキャンバスの上で表現したのです。ドン・ボスコ社の「名画でたどる聖母の生涯」の中から、コピーし、掲示版に出しました。

主任司祭 田中次生

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