アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

ローマ皇帝ネロがキリスト教徒を迫害し始めたのはAD64年でした。ローマを中心に迫害が続きました。それがどれだけ大変だったかは現在ローマの史跡として残されている地下墓所(カタコンベ)を見れば、一目瞭然でしょう。ローマの地下に何キロにもわたって秘密の墓地・集会所をつくり信仰を守るための拠点にしたのでした。313年コンスタンティヌス大帝が「ミラノ勅令」でキリスト教の信仰の自由を認めるまで続きました。現在でもロ-マは「地下墓所」のため、地下鉄が他の都市に比べて発達していないのはそのためです。

すこし脱線しました。パウロはペトロとともにAD67年ごろローマで殉教しています。最初の福音書が70年代に書かれますので、新約聖書の中で50年代書かれた「ローマ人への手紙」や「コリント人への手紙」などパウロの手紙は、キリストの死後の記録としては一番古い、教会の公式資料ということになります。

パウロは「もしキリストが復活しなかったとしたら、私たちの宣教も無意味なものであり、あなた方の信仰も無意味となるでしょう。それどころか、私たちは、神について偽証した者ということになります。……もし、私たちは、この人生においてキリストに望みをかけて生きているだけのことだとすれば、すべての人のなかで、もっとも哀れなものです」(Iコリント15:14~19)と強い口調でキリストの復活の価値を述べています。しかし、そのパウロも復活されたキリストの言葉や活動について不思議に思えるほど言及していません。パウロだけてなくそれに続く4人の福音史家も、復活されたイエス様が、特に「復活」について素晴らしい話をされたということを記録していないのです。

パスカルは「密かな復活」と表現したそうですが、そのとおりだと思います。夜の間に復活されたので、その瞬間を見た人は誰もいないのです。そして復活されたイエスさまは、弟子たちと一緒に食べたり、魚を焼いたり、パンをさいたり、歩いたりされるのです。挙句の果てに、ペトロは、カイザリアで説教しているとき、自慢げに次のように言います。「私たちは、イエスが死のうちから復活された後、食事をともにしました」と。こういう聖書の箇所を読むとき、私は「イエスさまはインマヌエル・ともにおられる神」なのだということを強く感じます。復活のイエスさまは、私たちの生活の中に生きておられるのです。

主任司祭 田中次生

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