15歳、聖トマス小崎の手紙

アイキャッチ用 松尾神父の今週の糧

ヨハネ・パウロ2世の列福式が今年5月1日に決定しました。人気のあった教皇様ですから、祖国ポーランドを初め夥しい数の巡礼団がローマに押し寄せることでしょう。

さて、2月5日に祝われる(日本以外では、5日は聖女アガタの祝日で、日本26聖人は6日に記念される)日本26聖人は東洋人初の聖人です。その列聖は1862年6月8日のことでした。1862年といえば、江戸時代の終わり、ペリー来航後でいくつかの通商条約がすでに締結されていますが、基本的に鎖国政策やキリシタン禁令が続行中の時代です。当然のことながら、その列聖式には一人の日本人も参加しませんでした。しかし、教皇ピオ9世は300人もの司教たちをローマに集め、東洋初の聖人誕生を盛大に祝いました。その結果、26聖人の中の12歳のルドビコ茨木や15歳のトマス小崎少年の模範は世界に知られることになり、世界のカトリック少年少女の鏡となりました。小崎少年にまつわるエピソードに次のような話があります。

トマス小崎少年は1月19日、小早川秀秋の城下三原で役人の目をぬすみ、伊勢に残っている母マルタに手紙を書きました。その一部を結城了悟著『長崎への道』から引用してみます。

「神の御助けにより、この手紙をしたためます。パードレ以下われわれ二十四名は、列の先頭を行く制札に書かれた判決文のように、長崎で磔刑を受けるため、ここまでまいりました。わたしのこと、またミゲル父上のこと、ご心配くださいませんように。パライソ(天国)ですぐお会いしましょう。お待ちしております。……この世ははかないものですから、パライソの全き幸福を失わぬよう、努力なさいますように。人からどんなに迷惑をかけられても耐え忍び、すべての人に大いなる愛を施されますように。私のふたりの弟マンシオとフェリペを、どうか異教徒の手に渡さぬよう、ご尽力ください。私は母上のことをわれわれの主にお願いいたしましょう。母上から私の知っている人々によろしく申し上げてください。……安芸の国 三原城にて」

主任司祭 松尾 貢

おすすめ記事