私の個人的な、趣味で書いているような「津和野」のお話は、とりあえず終了することにします。教会としてはクリスマスの準備の待降節に入りますし、年が明けて今度は188人の福者の方にもっと焦点を合わせて、来年の11月24日の列福式を迎えようと思います。
でもその前にどうしても書いておきたいのが「祐次郎の殉教」です。彼は明治3年11月26日、14歳の若さでその尊い命を神の御手に委ねました。彼は父が「国太郎」兄が「甚三郎」姉に「マツ」がおり、信仰の篤い家庭に育ちました。
連続して14日間にわたる責め苦は、鞭打ちあり、竹椽に全裸で座らせたり、鞭の棒で体中を刺したりしました。そしてその場面を、父国太郎や姉マツそして兄甚三郎に見せたり、悲鳴を聞かせたりしたのです。14日目には、疲労困憊、全身蒼腫で危険な状態になりました。役人達も慌ててその介抱を姉のマツに委ねました。姉のマツからのいたわりの言葉を受けた時、祐次郎は次のように答えています。「8日目にはゼズス様のことを思い、マリア様へのお祈りもしましたが、もう限界だと感じました。その時、ふと屋根に目をやると一羽の親すずめが、えさを運んできて子すずめの口に入れているのが見えました。すずめでさえ、わが子をいとおしく大切に育てているのなら、ましてゼズス様、マリア様が天から自分を見て、いとおしく思って下さらないことはないに違いないと考え、慰められ、勇気も湧いてきて14日を乗り越えることができました」と。兄の甚三郎も忍び込んできて祐次郎を励まそうとしたが、逆に祐次郎の方が皆を慰めるのでした。
「自分は、パライソ(天国)に行ったら、一生懸命皆さんのためにゼズス様やマリア様にお願いします。天主様のご摂理によって、皆様が信仰を守り通せますように」との言葉を残して26日の朝、「殉教者の元后であるマリア様」の御許に旅立って行ったのでした。
14歳祐次郎の壮絶な殉教でした。