日本の殉教者たちと天国(No.11)

アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

津和野に流されたキリシタンたちは、信仰堅固な精鋭だったと言われています。したがって役人たちは説得につぐ説得を重ねてもなかなか陥落させることが出来ませんでした。だから過酷な「氷責め・三尺牢・土牢・兵糧攻め」等が考えられたのです。しかし一番効果があったのはやはり「兵糧攻め」であったようです。永井隆博士はその著「乙女峠」の中で次のように言います。「何が恐ろしいと言ってもたえず腹を減らされ、仕事もさせられず、大勢狭い部屋に詰め込まれて長い年月を暮らさせられるほど、ききめのある責めてはないそうです。こういう責め苦にあうと、男より女の方が辛抱が強く、かえって女から男が励まされました。子供は母の教えたとおりにします。こういう大きな迫害の中では、主婦がしっかりしていた家庭だけが、最後まで頑張り抜きました」と。

第2次の156人の流罪者の中には、1才からから5才までの幼児が男の子は9人、女の子は7人であわせて16人いました。沖本常吉氏はその著「乙女峠とキリシタン」でこんなデータを記録しています。役人たちは「幼児」を狙って「お菓子」で陥落させようとしました。農夫が投げた蝉をバリバリと食べてしまうほど、空腹にさせた幼児をお役人たちはお菓子を見せびらかしながら誘惑したのです。キリシタンをやめれば、お菓子なんかいくらでも食べさせてあげると約束したのです。16人の子供の中で、その誘惑を退けた幼児が5人もいました。3歳が1人、4歳が3人、5歳が1人でした。そのうちの一人3歳の子供が役人の所から帰ってきた時、母親が心配して尋ねました。

「お前はなんて答えた」
「キリシタンは辞めませんといいました」
「なぜそういった」
「お菓子を貰えばパライソ(天国)へ行かれぬ。パライソへ行けば菓子でも何でもあります」(沖本常吉「乙女峠とキリシタン」)より。

「三つ子の魂、百まで」と言います。「この母にしてこの子あり」とも言います。

主任司祭 田中次生

 


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