私がいつも不思議に思うのはイエスさまの御昇天の時のマタイの記録「さて、11人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスがお示しになった山に行った。そしてイエスを見て伏し拝んだ。しかし、疑う者もいた」(マタイ28:17)です。復活されたイエスさまに出会い、「御昇天」という歴史的な場に立会いながら疑っていた人がいたという事実です。
先週の日曜日には、「エンマウスの弟子」について黙想しました。パンを割いた時、イエス様だと気づきました。“聖書を解き明かされたとき、私たちの心は内で燃えていたではないか”“時を移さず出発して、エルサレムに引き返してみると”の表現は、復活されたイエス様との出会いの喜びを感じさせます。彼らは、天使の幻を受けた婦人たちの言葉『イエスは生きておられる』も、それを確かめにいった仲間たちの言葉も信頼できず、まさに「敵前逃亡」ものであったと言うことも考えました。でもそんな二人の弟子に対して、イエスさまは本当に丁寧に一緒に歩いて下さったのです。そこにイエスさまの優しさを感じます。おそらく後ろから追いついてこられたイエスさまは、彼らの歩調に合わされて、ゆっくりと歩き始め、彼らの話題に仲間入りし、彼等のスケジュールに合わせて、宿に泊まることを決心されたのでした。11キロの距離ですから、2時間ほど彼等の愚痴を聞くことで、その心の傷口を癒し、復活の証人となるべく「そのこころを燃えたたせた」のでした。
今日、私たちの教会に、今度叙階される谷脇助祭がこられました。長い勉学の日々をイエス様と一緒に歩いてこられたのでそのお恵みが与えられるのでしょう。でも人間は何歳になっても、いろんなことで悩んだり、愚痴を言いたくなることが出てくることでしょう。どうかこれからも“イエス様と一緒に”司祭として歩いていかれることをこころからお祈りしたいと思います。
2年前、一年間教会にいた植草さんは、現在は大分教区の神学生として、福岡のサンスルピス神学校で勉強しています。また昨年からレデンプトール会の神学生になった武藤君も、今年から上智大学の神学部で勉強を始めています。谷脇助祭、武藤・植草神学生のためにも、是非私たちのお祈りを続けて行きましょう。谷脇助祭の叙階式は4月29日聖ヨゼフ学園です。