一度、何かの時に書いたことがあります。マリア様が天使からのお告げを受けられた時、マリア様は「何をされていたのか?」という疑問は昔からありました。東方教会の伝統的な考えは「マリア様は糸を紡いでいた」という伝説を大切にしていたそうです。ルネサンス期になると本(聖書)を読んでいるマリアさまの名画が沢山出てきます。フラ・アンジェリコの「受胎告知」がその代表で、グレコ、ベリ-ニ、フランチェスカ等沢山あります。カトリック女流作家の木崎さと子さんは、「糸を紡いでいるマリア様が好きだ」と言っています。(木崎さと子「命の波にかがやく」) そしてその理由として、「家族の身をくるむ布に関する仕事は、縫い物であれ、編み物であれ、心和む」としています。マリアさまのお祈りの時とか、聖書を読んで黙想されている時ではなく、家事に勤しんでいる時に、天使のお告げを受けたというのは、確かに“心和む”場面です。でもそれは“お掃除をしていたり、洗濯をしていたり、庭の花の手入れをしていたり、お料理をしていたり”の全部を考えることもできるでしょう。

マリア様に限ってそんなことはないでしょうが、聖書を読みながらも心は聖書の中に無い場合など、私達にはよくあることです。反対にお掃除をしながら、庭の手入れをしながら心は神さまと結ばれている場合もあります。無原罪の穢れがなく、「恵まれた者、喜びなさい。主はあなたと共におられます」と天使からご挨拶されたマリア様の場合、家事に勤しみながら、ヨゼフ様や愛する子供のイエスのことを考えながら、ごく自然に神さまと心が結ばれていたと言えるのではないでしょうか?マリアさまの心にはいつも「主が共におられた」のです。だからマリア様は幸いなのです。

そのためこう考えられます。日常生活を一番イエスさまに結びつけて過ごされたのはマリアさまであった。「日常性」を一番高めたのはマリア様であったのです。願わくは私達もマリアさまに「日常生活を大切にするお恵み」をお祈りしたいものです。私達の幸いも「主が共におられる」のがその理由ですから。

主任司祭 田中次生
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