アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

1854年12歳の少年ドメニコ・サビオが初めてドン・ボスコに会いました。ドン・ボスコはすぐにドメニコの優れた素質を見抜き、オラトリオに来るように誘いました。両親はドメニコのことを良く知っていたので、一人息子を手放す寂しさを乗り越え、ドン・ボスコに息子を預けることにしました。父親に連れられてオラトリオにきたドメニコは、ドン・ボスコの部屋の入り口に掲げてある額縁の言葉に興味をしめしました。ドン・ボスコのモットーである「Da mihi animas, coetera tolle !  我に魂を与えよ、他は取り去り給え」です。ドン・ボスコの説明を受けて、ドメニコはすぐ理解して言いました。「これは、ぼくのモットーと、良くにていますね。ぼくも“モットー”を選びました。それは“罪を犯すよりも死を”というのです」と。ドン・ボスコは喜んで少年を迎え入れました。

小さい時から“聖人になる”ことを望んでいたサビオは、自分が早死にすることを本能的に知っていたのか、少しあせっていました。「一日も早く聖人になりたい!!」という気持ちが、成長期の少年に、心身の苦しみをもたらしていました。いつもなんとなく暗く、あせってピリピリしているサビオにある時、ドン・ボスコは諭しました。「イエス様が聖人にして下さいます。そのイエス様が望んでおられるのは、学校の規則を良く守り、学友を助け合うことです。そしてイエスさまに任せて心配しないことです。“くらい顔はダメダメ”、悲しい聖人はつまらない聖人です。これを良く覚えておきなさいね!!」 この言葉でドメニコの顔に笑顔がもどり、友達の遊びの輪の中に飛び込んでいきました。ドン・ボスコはやさしく見送りました。ドメニコは毎日の生活を、つまり日常生活を真面目に、しかし楽しくおくったのでした。

1954年6月12日、ピオ12世教皇は、15歳でなくなったドメニコ・サビオを列聖しました。最年少の「証聖者」でした。天国で、ドン・ボスコとドメニコは、サレジアン・ファミリ-に囲まれてどれほど喜んだことでしょうか。

主任司祭 田中次生

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