アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

ある若者が学問に行き詰まり、失恋したりして、人生に嫌気がさしていました。一度は人生をはかなんで“死”を考えたこともありました。でもお別れのつもりで友達と飲んだ時、友達がいろいろと親身になって話しを聞いてくれ、「たった一度の人生だから、何とか頑張ろう!!」との気持ちを持つことができました。彼は、人生に対して真正面から戦いを挑む気持ちになり、あれこれと考えて有名なお寺で修行しようと決心しました。

お寺の高僧は、若者の言うことに黙って耳を傾けてくれ快く、弟子入りを認めてくれました。若者は“人生に再挑戦するのだ!どんな荒行だって絶対にやり遂げてみせるんだ”との気持ちを胸に、お寺での生活を始めました。でも一週間もするとなんとなく不満を持つようになりました。高僧は優しく声を掛けてはくれるのですが、全然“荒行”の話がこないのです。「断食したり、寒中に滝にうたれたり、一日座禅を組んで瞑想に耽ったり」の修行の話が出てこないからです。お寺での生活は、朝が早い分だけは大変ですが、それでも一般の社会でやっていることの繰り返しだったからです。お寺の掃除、来客のための部屋の準備、台所のお手伝い、食事の準備とお皿洗い、庭の草取りなどが延々と続くのでした。とうとう彼は我慢で出来なくなりました。「これではなんのために、お寺さんに入門したのかが分からなくなる。もっとちゃんとした“修行”をさせて貰えるようにたのもう」と考えました。

ある日、庭の掃除をしていると高僧が通りかかりました。いまがチャンスと若者は、自分気持ちを素直に話しました。高僧は黙って耳を傾けてくれました。そして次ぎの様に諭しました。「お寺の生活では“何をするのか”ではなく“どんな心でするのか”が大切。庭の掃除もイヤイヤな心でしても、修行にならないけど、“心をこめて行う時”それは立派な“修行”になるのだよ」と。

若者は、高僧の教えを心に植え付け、おてらの日常生活を立派にやり遂げて、歴史に名が残る立派なお坊さんになったということです。

主任司祭 田中次生

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