ヘンリ-・ナウエンという神学者がいます。彼の書く本はほとんど日本でも訳されており、私の本棚にもかなりの場所を占めています。その彼が「主の洗礼」について書いています。
イエス様が洗礼を受けられたとき、「あなたは私の愛する子、私の心にかなうものである」と天から声が聞こえてきました。これは、イエス様を通して父なる神の私達一人ひとりへのメッセ-ジなのです。
私達は「愛されている」のです。ナウエンはこうもいいます。「洗礼のために教理の勉強をしてきて、最後にこれだけは忘れて欲しくないことは何かと言えば“あなたは愛されている”ということです。」と。
現代社会の中で多くの人達は「自己否定」の誘惑に陥っています。日本でも30,000人の人達が、この一年でみずからの命をたちました。 “あなたは愛されている”ことを実感出来ないからです。イエスさまの洗礼の時に、父なる神からの「あなたは私の愛する子」のメッセ-ジは、私達にも向けられています。ヨハネの聖書のゴ-ルデン・テキストと言われる「神はこの独り子を与えるほど、この世を愛した。それは、おん子を信じるものが独りも滅びることなく、永遠の命をえるためである。」と関連付けて考えれば、この世の私達が、どれほど父なる神から“愛されている”かが理解できます。私達は、父なる神の“愛する子”を贈ってもらえるほど、父なる神から愛されているからです。そしてイエスさまは、十字架の苦しみと死を通して、どれだけ私達人間を愛しておられるのかを示されました。
プレゼントをする場合、する相手によっては自分のいらなくなったものをうまく押し付けることもあるし、自分にとって一番大切なものを与えることもあります。それは与える相手との距離とか、愛する度合いがきめることです。
今日記念する「主の洗礼」は、父なる神の“独り子イエスさまに対する愛”と“イエス様をプレゼントして下さるほど愛されている”私達のことを考えさせます。