カナの婚礼の奇跡は、私の好きな奇跡です。それは“ブドウ酒”だからではありません。12才から「ますます神と人から愛された」イエスさまらしい奇跡だからです。 一生一代の喜びの日に、新郎新婦たちはイエスさまに来ていただき、一緒に喜びたかったのです。イエスさまの参加は、まさに披露宴に花を添えると思われたのです。これは私の勝手な推量ですが、「イエス弟子達その婚礼に招かれていた」(ヨハネ2.2)とありますが、弟子達はおそらく仕方なしに、招待されたのでしょう。常日頃、旅から旅の“旅ガラス”とも言うべき弟子達は、降って沸いたようなご馳走に舌鼓をうったのは確かなことです。ワイン切れは、100%彼らの責任でしょう。

12才の時、エルサレムの神殿に参詣された時、イエスさまとご両親の間に、「意見の食い違い」がありました。それから18年経って、「ブドウ酒がありません」と言われるマリアさまに対して「婦人よ、このことについて、私とあなたとは考えが違います。私の時はまだ来ていません」と何か素っ気無い返事が返ってきました。でもさすが、マリアさまです。30年のイエスさまとの生活からの体験で、迷わず給仕達に「何でもこの人の言うとおりにして下さい」とイエスさまを紹介し、彼らの心を奇跡に準備されたのでした。

カナの奇跡がイエスさまの最初の奇跡ですから、マリアさまも給仕たちも、一度もイエスさまの奇跡を目にしたことはないのです。でもマリアさまの態度には、「奇跡」を予測しているような雰囲気があります。小さい頃から、イエスさまと一緒に生活されていたマリアさまは、「ブドウ酒がありません」という情報さえ流せば、イエスさまが何とかして下さると確信していらっしゃったのでしょう。イエスさまには、そんな優しさがあったのです。だから「ますます神と人から愛された」のです。

子供達をあやされるイエスさま……
頼まれもしないのに、やもめの一人息子を蘇らせるイエスさま……
ハンセン病者に触れて癒されるイエスさま……

主任司祭 田中次生
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