韓国の俳優パク・ヨンハさん自殺のニュースが大きく取り上げられ、日本のファンが嘆き悲しんでいる様が放送されました。
日本では1998年以降毎年3万人を超す自殺者がいます。隣国韓国でも、日本を凌駕する勢いを感じさせる目覚しい経済発展の一方、日本に似た悲しい状況が顕著になりつつあります。2009年度OECD(経済協力開発機構)Health Dataによると、人口10万人当たりの自殺死亡率は1位が韓国で21.5人、2位がハンガリーで19.6人、3位が日本で19.4人となっております。(OECD加盟国の平均は11.1人)
ドン・ボスコ社で仕事をしていたとき、月刊誌「カトリック生活」で自殺についての特集を組んだことがありました。その時、四国のある読者から長い手紙を受け取ったことがあります。
「弟が自殺したとき、肉親をなくした辛さに加え、そばにいた自分にも責任があるのではと自分を責め、悶々とし、涙していた。それに追い討ちをかけるように、所属小教区の主任司祭は自殺は大罪だからと教会での葬儀ミサをしてくれなかった。そのことは大きなショックであり、今でも怒りを覚えています」という内容でした。
確かに、旧『教会法典』には、自殺者に対して教会での埋葬権を剥奪するという厳しい規定がありました。しかし、教皇ヨハネ・パウロ2世は回勅『いのちの福音』で、「そのような終局を迎えねばならなかった人生を静かに神にゆだねる姿勢を持つことが大切です」と述べています。現在、カトリック教会は冷たい、裁き手として振舞ってきた過去の反省の上に立って、神のあわれみとそのゆるしを必要としている故人と、慰めと励ましを必要としているその遺族のために、心を込めて葬儀ミサや祈りを行うよう呼びかけています。
日本では自殺した人の75%がうつ病患者といわれています。私たちのまわりにもうつで苦しんでいる兄弟姉妹が大勢います。今日の福音のサマリア人のように“隣人となる”ことができますように、周りの人に関心をはらっていきたいものです。