若手司祭(享年39歳)の訃報に接して

アイキャッチ用 松尾神父の今週の糧

いくぶん旧聞に属しますが、この春の復活祭翌日の4月25日、39歳の若手司祭がテニスのプレー中に倒れ、帰らぬ人となりました。長崎教区司祭ヨセフ松永正勝師。故人は毎年2月に行なわれる長崎教区の司祭マラソン大会で常勝の長身スポーツマン司祭だっただけに、師の突然の訃報は教区民に大きなショックと驚きを与えました。

長崎大司教区報『よきおとずれ』6月号の「ほしかげ」欄の内容をご紹介したいと思います。

4月25日午後5時、長崎市内の病院で亡くなられた故松永師の遺体は大司教館チャペルに移され、その日に仮通夜。翌26日夜、浦上教会信徒会館で通夜、27日午前11時から浦上天主堂で高見大司教司式で葬儀・告別式が行なわれました。

長崎教区では司祭が亡くなった時、通夜のあと、徹夜のリレー形式のミサが友人司祭によって執り行われる習慣があります。27日の早朝、午前3時半からのミサを担当した司祭は説教の中で次のようなお話をなさったそうです。

「司祭は、ある意味で聖骸布ではないでしょうか。聖骸布は、イエスの姿を写し取っているからです。もちろん、完全な写しではありません。理解が足りない部分もあるし、司祭の個人的な欠点のために、イエスの姿を反映できていない面もあります。それでも、司祭でしか写し取れない姿を保っているのです。年齢から考えれば、松永師はあと30年は働いて欲しかった。あと30年は働いてもらえる可能性があった。となると、長崎教区は30年分の損失を被ったことになります。司祭の損失は司祭でしか取り返せません。“司祭になりたい”と、立ち上がってくれる人が現れるよう、切に祈ります」。

今日は、聖体の祭日。ミサ聖祭を司式挙行できるのは司祭だけです。この素晴らしいキリスト様の恵みの糧の奉仕者となるべき若者が生まれ育つよう、聖霊は、今もいつも恵みの働きかけをしてくださっているはずです。

この夏も横浜教区や各修道会主催の召命錬成会が各地で開かれます。召命の芽生えのために、一粒会や志願院後援会のメンバーと共に、熱い祈りを、しつこくささげてまいりましょう。

主任司祭 松尾 貢

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