9月11日に岩手県水沢で開催された「後藤寿庵祭」の模様を動画で見ることができた。講師は、溝部脩前高松司教様。
ヨハネ(ジュアン)の霊名を持つ後藤寿庵は伊達政宗の家臣で「奥州キリシタンの父」、「近代農業の先駆者」と呼ばれている。彼は信仰面のリーダーだっただけでなく、胆沢川から“寿庵堰”とよばれている水路を作り、胆沢平野を豊かな米どころに変えた。その功績ゆえ、地元の人たちから現在も慕われている。1621年、奥州キリシタン代表17名が教皇ウルバヌス5世に送った奉答書からも、当時、見分といわれた水沢の地は東北キリシタンの核であり、日本キリシタンの主要な集団の一つということがわかっている。その集団の指導的立場にいたのが後藤寿庵であった。
さて、仙台の震災支援に行っていた知人が、寿庵祭の講話を終え、被災地を巡られる溝部司教様と久しぶりにお会いでき、夕食を共にすることができたと、次のように語ってくれた。
「昔に比べたら、お年を召されたなという印象は勿論拭えきれない。教区長引退後、高知県の教会の主任代行をなさっているが、来春からは、京都で、召命を感じている若者達と一緒に生活しながら、青年の召命の識別のお手伝いをしたい、と、熱っぽく話された」。勿論、司教様は大好きなキリシタン史の勉強を継続し、高山右近列福のためのお仕事もなさるに違いない。
知人が驚いたのは、76歳の引退司教にして熱っぽく、“夢”を語る溝部司教の心の若さだという。現在のような混沌として、先が見えない日本社会の状況、高齢化や召命の現象などであまり明るい話題がきかれない日本カトリック教会の現状の中で、引退してなお夢を語り、青年たちに期待を掛ける姿は、私たちに励ましと模範を与えてくれるのではないだろうか。
9月19日、山梨の富士聖ヨハネ学園で横浜教区一粒会大会があった。前回、山梨県の会場で行なわれた時は350人ほどの参加者だったのに、今年は当初7百名近い参加希望者があり、会場の聖ヨハネ学園側が収容できないということで、司教館事務局では「参加者を削ってください」との異例の通知を各教会に送った。横浜教区の一粒会への関心は16司教区の中でもかなり高いといえる。その意識の高さに、溝部司教様の持つ夢と熱っぽさを添えることができれば、何かが生まれるに違いない。