2月一杯で退任なさる教皇ベネディクト16世に感謝

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2月18日の毎日新聞朝刊に同志社大学教授・浜矩子氏のコラムが掲載されていた。少し長くなるが、引用してみたい。

ベネディクト16世の前任者、ヨハネ・パウロ2世が2005年に帰天したとき、筆者は、彼について「史上初のグローバル教皇~世に剣を投げ込んだ人~」というタイトルで、本紙の「時代の風」の欄に執筆させていただいた。地球を股にかけてカトリック教会の存在感を示しながら、信仰のあり方については、今日性に媚びることが一切なかった。

退位するベネディクト16世も、このスタンスを引き継いだ。前任者に比べ、カリスマ性に欠けるといわれた。教皇庁内のさまざまなスキャンダルや、聖職者たちの幼児虐待問題などにも、振り回された。だが、そのさなかにあっても、決然と信仰の神髄に忠実であり続けた。そのために要した心身のエネルギーたるや、いかばかりのものだったろう。
(中略)教皇様は神との日々の対話の中で、退位の決意に達した。
どう取りざたされても、心持ちは平安であるはずだ。

浜教授は経済学者だが、教会を見る洞察は鋭い。

  • 今日性と普遍性をどう二つながらにして満足させられるか。この難題に打ちのめされまいと踏ん張って行く。踏ん張り抜くためには、どうするか。その勘所はどこにあるのか。それは、要するに基本に忠実であるということなのだと思う。
  • 変わるためには、何から、どこから、何をどう変えるのかが分かっていなければならない。揺るぎなく続くべきものは何なのか。それが見極められていない者に、意味ある変化を語る資格はない。

教皇ベネディクト16世は“保守派”とか“反動”といわれるたびにこう答えておられた。
「わたしは保守的でもないし進歩的でもない。私は教会の伝統を重んじる人間です」。

ベネディクト16世の面目躍如たる至言といえよう。

主任司祭 松尾 貢

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