毎朝、NHK連続テレビ小説「花子とアン」をご覧になっている方も多いことでしょう。
現在放映されている「花子とアン」は、花子の孫にあたる村岡恵理氏の『アンのゆりかご―村岡花子の生涯』が原案となっています。原作のドラマ化に際しては、脚本家の考えが反映され、視聴率も当然考慮されます。ドラマである以上フィクションの部分も多くなり、キリスト教的な部分がかなりカットされているのは仕方がないことかもしれません。 彼女の年譜を見ると、ドラマ以上にキリスト教とのかかわりが深いことが分かります。
1893年甲府で生まれた花子は2歳で受洗、5歳の時一家で上京します。最初は品川の城南尋常小学校に入学しますが、1903年東洋英和女学校に編入学します。彼女が寄宿生活を送りながら、給費生として学んだのはメソジスト派のミッションスクールでした。こんなエピソードが残っています。
1913年、女学校の卒業式のときのことです。学友が「生涯のうちで、ここで過ごした女学生時代ほど楽しい時代は二度と来ないと思う」と述べた。それを受けて、ブラックバーン校長は次のような言葉を卒業生に贈ったそうです。
「今から何十年か後に、あなたがたが学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだった。一番楽しかったと心底から感じるなら、私はこの学校の教育は失敗だったと言わなければなりません。人生は進歩です。若い時代は準備のときであり、最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けていくことができますように」(村岡恵理著『アンのゆりかご―村岡花子の生涯』より)
宣教師校長の含蓄に満ちた名言ではないでしょうか。
花子は1914年、山梨英和女学校に教師として赴任しますが、5年後教師を辞して、日本基督教興文協会(後に教文館と合併)で、婦人・子供向けの本の翻訳と編集に携わります。結婚後も教文館とのつながりはずっと続きます。この夏、村岡花子ゆかりの銀座教文館によって4階コーヒーコーナーでひと休みしてみませんか。