先日の堅信式ミサでの梅村司教様の説教の挿話がとても印象深かったと何人かの方から伺いました。式に参列なさらなかった方のためにも、その話をご紹介したいと思います。
第二バチカン公会議前後の頃は、教会では黒い表紙の『カトリック聖歌集』が使われていました。その聖歌集の後ろ650番以降にはプロテスタント教会の讃美歌が載っていました。中でも聖歌集658番(讃美歌320番)の「主よ、みもとに」はよく歌われたものでした。歌詞は下記のとおりです。
2番:さすらうまえに 日は暮れ 石のうえの かりねの
夢にもなお 天(あめ)を望み 主よ みもとに近づかん
3番:主のつかいは み空に かよう梯(はし)の うえより
招きぬれば いざ登りて 主よ みもとに近づかん
この歌は葬儀や追悼の式のとき今でもよく歌われますし、なんといっても、映画「タイタニック」で、沈みゆく船に残った楽団員が静かに演奏するシーンは胸を打つものがありました。
この歌詞は、創世記28章の「ヤコブの夢」をもとにしたものです。
父イサクと兄エサウをだまして跡取りの権利を得たヤコブは、兄にいのちを狙われて逃亡生活をする羽目となります。野獣や盗賊に襲われる不安の中、疲れ切ったヤコブは「その場所にあった石を一つ取って枕にして横たわった」(11節)のです。そしてヤコブは夢をみます。「先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた」(12節)という夢です。夢の中で、主から祝福を受けたヤコブは、目覚めて「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった」(16節)と述べるのです。
ヤコブの姿は、人間関係に悩み苦しむ私たちを表していると言えます。
人と人との横のつながりを失い、孤独に苦しむヤコブに、神が働きかけます。縦の関係、神とのつながりを体験する恵みが与えられたのです。その後、20年に及ぶ様々なドラマを経て、「あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなる」(14節)という神の言葉が実現していくのです。