鷺沼教会では3月15日に四旬節の黙想会・共同回心式を予定しています。先日ある信徒の方から次のような質問を受けました。
「共同回心式の際、ずいぶん長く告白なさる方がおられます。自分はとても短い。逆にこれでいいのか不安になってしまいます」
丁度いい機会ですので、上記の質問に答える形で、ゆるしの秘跡について(今回と来週で)少し復習してみたいと思います。
神学部の卒論で「ゆるしの秘跡の歴史的変遷」をテーマにしました。そこで学んだのは初代教会では二つの特徴があったことでした。
一つは赦しの秘跡は生涯で一回限りが原則だったということです。すなわち殺人、棄教、姦淫という大罪を犯したとき、神様と信仰共同体に対して公に赦しを乞い、償いと回心が認められれば、公に共同体に迎え入れられ、罪が赦される。
二つ目は、霊的指導や祈りの訓練のために隠遁生活をおくっている修道者や徳のある先輩信者のもとを頻繁に訪ずれて指導を受ける習慣があったことです。
現在のようなゆるしの秘跡は、アイルランド教会の霊性と実践がローマ教会に受け入れられて発展してきたものです。その際、上記二つの要素が合わさった形になったというわけです。
ゆるしの秘跡に不可欠なものは、(1)良心の糾明、(2)痛悔、(3)生活を改める決心、(4)告白、(5)償い、です。現在は(4)の後で罪のゆるしが与えられますが、初代教会では(5)の後でした。
ところで、共同回心式では大勢の方がゆるしの秘跡に与かるわけですから、霊的指導や人生相談的なことは別の機会にしていただくのが当然有難いわけです。しかし普段なかなかチャンスがないので指導を受けたいというニーズも十分に理解できます。
前提としてほしいことは、当然のことですが、ゆるしの秘跡は自分の罪の告白であるということです。(夫婦・親族を含めて)他の人の欠点や罪の告白ではなく、また愚痴や不満の発散の機会でも、自分の立場の正統化の場でもありません。このことを、まず確認したいものです。神さまの前にへりくだる姿勢がまず必要です。