19 世紀の説教家ジョゼフ・パーカーにある人が質問しました。
「先生、キリスト様ともあろう方が、なぜあんなユダのような人物を12使徒のうちに加えたのですか。あまりにも人を見る目も、先見の明もないではありませんか?」
パーカー先生は答えます。
「君、それよりも、私のような者がどうしてキリスト者として選ばれたのかと、自問自答してみなさい。そうすれば、イスカリオテのユダのこともよく分かるだろう」。確かに、〈わたしはユダだ〉と告白できるその人が、人間に何が起こるのかを深く理解できる人なのでしょう。
太宰治の作品の中に、『駆け込み訴え』という小品があります。1939年頃、聖書を熱心に読んでいた太宰は稀代の饒舌体を駆使してユダの裏切りを描写しています。
「あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、すばやく寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私はけちな商人です」と独白させて、「ヘッヘ。イスカリオテのユダ」で終わっています。
太宰は青森の大地主の家に生まれ、女性を裏切って死に至らせ、左翼に傾いて怖くなり、放校させられた学友と別れて大学生になります。生涯この裏切りの負い目を抱いたことが、見事なユダ像を書き残したとも言えます。裏切りの傷は、生涯つきまとうものです。
イスカリオテという言葉にはいろいろな解釈がありますが、その一つに、イスは「人」、カリオテは「大都会」、つまり大都会の人を意味するという説があります。確かに他の使徒たちの多くがガリラヤ出身の漁師や徴税人などであったのに対し、ユダは抜け目のないシティー派として
目立っていたのかもしれません。
ユダのことを考える際、遠藤周作のうがった解釈が参考になります。
「ユダの罪というのはキリストを裏切ったということより、救いに絶望したことにある」。自殺の瞬間、神さまの想像を絶する憐れみ深さにすがる機会がきっとユダに与えられたはずだと、私は思うのですが。