ウンベルト記

ウンベルト・カバリエレ神父

サレジオの中高で学んでいる時、尊敬できる5~6人の神父さんがいました。

Boyle神父、アイランド系で小学校とボーイスカウトを担当。Velazques神父、スペイン系。われら高校生と毎日の話に付き合ってくれ、音楽担当の神父、イタリア系のコロ指導司祭は、生徒を信頼して楽器の練習をさせてくれました。ゲルマン系で数学担当のWet神父そして、フランス系のGalant神父は、全小中高教務、生徒指導司祭(一番怖い!)。この2人が、私の卒業後、2年間のOB役員のときに、文化活動、講演会、スポーツ、そして試合にまで付き合ってくれました。今、振り返ってみると、4人とも移民の子供たちというわけですね。

さて私は、この一番怖かったGalant神父のところを訪ねました。

「20才になって、どこかへ行って役に立つことやりたいと感じている、アフリカとか…」私の率直な話に、神父は黙って耳を貸してくれました。今までのこと……、心の乱れ……、役に立ちたい……、アフリカで…など、私の脈絡もない話にGalant神父は「確認しながら、準備が必要ですね……」と言いました。

帰宅して、夕食時に初めて家族にアフリカに行く望みを打ち明けたら、父は、「野獣に殺されに行くのか? だめだ!」と一蹴! それから、一か月の間は、仕事と大学と、そして家では無言の食事生活でした。この親不孝者! どうしてこの頑固さか?? しかし、有り難いことに、ちょうど年度末に親の許可が下りたので、私は即座に退職。大学は中退。やっぱり、少し気が狂っていたかな……。 早々と退職、中退したものの、なぜかアフリカはますます縁が遠くなり……、まぁ、あの頃、1950年のアフリカ行きは、火星に行くようなものでしたから……。それで一年間は、ラテン語、ギリシャ語に専念しました。

ある日、アルゼンチン・サレジオ会の管区長と指導の院長に呼ばれ、「あなたは宣教師になる意志がありますか?」と聞かれ、私が「はい!」と答えると、「では、日本に行きませんか??」私は「ええーー?」と。一瞬思ったのは、“日本は文明国で……、日本人はみな背が低く……”そこで私は、「日本は考えてないんです……」と。「そうでしょうねぇ、まあ、少し考えて、明日また返事をください……」「……。」

私は挨拶して部屋を出ました。足はがたがた、頭はボーッとしているうちに、夜になって、ベッドにつきましたが、眠れませんでした。

次の朝、私はまだぼんやりしたまま、院長室に行き、思わず「昨日のお話の返事ですが、それは…管区長様と院長様とにお任せいたします……」と言いました。お二人が「宜しい、それでは来月、イタリア本部に帰る年配の宣教師と一緒に船に乗って、長上たちに挨拶し、そこから日本に出発することにしましょう……。」

即決定! という結末でした。私は心の中で「ああ、野獣ではなくて、日本人に殺されるのか?」……と思ったのです。(失礼!)

本当に私は、神様の手の中の遊び道具ね?(笑)


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