(8)ドメニコ・サヴィオ - その良き死の準備 -

聖ドメニコ・サヴィオ 列聖50周年記念特集

助任司祭 土屋 茂明

「ドメニコは良き死の練習をたいへんに心を込めて行っていました。祈りの最後のところで、参加している者のうちで、最初に死ぬ者のために、聖母マリアへの祈りと主の祈りを唱えることになっていましたが、ドメニコは、にこにこしながら、言うのでした。〈最初に死ぬ人のためにではなく、ドメニコ・サヴィオのために、と言えばいいでしょう〉と。」
(ドン・ボスコ著『ドメニコ・サヴィオ伝』第20章より)

ドン・ボスコは彼の学園で、毎日、「良き死の練習」という信心業をしていました。(日本でも、デーケン神父によって、「死の準備教育」「死生学」ということが広く知られるようになりました。)
その伝統は今でも受け継がれています。近頃は、「月の静修」と言っているようですが、私が当時、宮崎にあったサレジオ志願院で生活を始めた最初の月、明日は「良き死の練習」があって、誰か一人柩の中に入るんだなどと先輩からおどかされて、びくびくした思い出があります。
ドン・ボスコは、生徒たちに、良き死を準備することを勧めていたのです。それは、今を真剣に、大切に生きるように促すことであったのです。

ドン・ボスコも、ドメニコ伝に記しているように、体が弱いドメニコに勉強や信心の勤めを減らすように勧めていたのでした。それでも、病気や常に変わらない精神の緊張のため、日に日に体は衰えてきました。ドメニコ自身命の長くないことをわきまえており、「ぼくは道を急がなければなりません。そうしなければ日が暮れてしまいます。」と言い、聖人になるために、もっと努力し、善行をたくさんしなければと励んでいたのです。ドメニコはいっそう熱心に、慈しみ深い聖母マリアのご保護を願うのでした。

1856年4月の終わり頃、「聖母に捧げられた5月を、もっともよく過ごすには、どうしなければなりませんか。」と尋ねました。ドン・ボスコは、「君のすべての勤めを立派に果たすように心掛けなさい。そして、聖母マリア様について、為になる良い話を、たくさん友だちにしてあげなさい。それから、毎日、聖体を拝領しなさい。」と勧めました。すると、「では、どんなお恵みを願ったらいいでしょうか」と言いました。「神様が健康を与えてくださるようにと、聖母の取次ぎを願いなさい。」との勧めに対し、ドメニコは「聖人になる恵みをいただき、臨終のとき、聖なるよい死を遂げることができるようにお守りくださいと願います。」と答えたのでした。

ドン・ボスコは、ドメニコ伝の第23章、24章に、詳しくその最後の日々と聖なる臨終の様子を書き記しています。


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