イエズス会のルイジ(アロイジオ)・ゴンザガ、サレジオ会のドミニコ・サヴィオはそれぞれの修道会教育の聖なる実りと言われます。若くして亡くなった点やペスト患者の看病に尽くした点でも共通しています。この両聖人の「初聖体」のエピソードをご紹介しましょう。
19世紀の聖人ドミニコ・サビオの初聖体は七歳のときでした。その若さで初聖体のときに「罪を犯すより死を選びます」というモットーをたてました。ルイジ・ゴンザガは1568年イタリアのマントバの名家に生まれます。名門ゴンザガ家の跡継ぎとしての養成を受けるためにフィレンツェのメディチ家の宮廷に送られたのは10歳のときでした。しかし宮廷の虚栄や大人たちの退廃ぶりに嫌悪感をもち、詩編の祈りや聖人伝の読書などに傾倒していきます。1580年、カルロ・ボロメオ枢機卿がゴンザガ家を訪問します。聖人枢機卿ボロメオはルイジが12歳になったのに、まだ初聖体をしていないのを聞いて、その準備をし、7月22日に初聖体を授けました。その時の決心は「イエズス会に入る」ことでした。父親の猛烈な反対を押し切って、それが実現したのは六年後のことでした。
初聖体とは、洗礼を受けた人が入信の秘跡の完成として聖体の秘跡を受けることをいいます。特に、幼児洗礼を受けた者が分別のつく年齢になってから聖体の秘跡にあずかることを指します。
西洋中世では、聖体信心が隆盛し、ミサに与っても普通は聖体拝領せず、聖体を見て礼拝するという信心が広まっていました。これを背景に、第2ラテラノ公会議(1215)は、「分別の年齢に達したすべての信者に、少なくとも年に一回、ゆるしの秘跡にあずかり、復活祭の頃に聖体の秘跡を受けることを義務付けました」。幼児洗礼を受けた子どもにとって、当初それは7歳ごろと理解されていましたが、後になると13~14歳に延期されて、その準備も両親の責任とされ、小教区共同体は関与していませんでした。1910年、教皇ピオ10世は秘跡聖省令を発布し、初告解・初聖体のための分別のある年齢とは、7歳前後と定め、義務化しました。初聖体にあたっては衣装や贈り物、パーティーなど外見の盛大さが競われる地域がありますが、聖体が入信の秘跡の頂点であることを理解し、親子・教会がともに準備する共同体の祭りとして祝われるべきものといえます。
主任司祭 松尾 貢