先週の日曜日午後、碑文谷教会でサレジオ会谷口亮平師の司祭叙階式がありました。福岡県行橋市の新田原教会出身ですが、ルーツは五島列島。遠戚にあたる故・古木真理一師の「今ははっきりした司祭召命はなくてもいいから、一度試してみなさい」という言葉で高校一年から四日市志願院に入学したそうです。

谷口新司祭は現在31歳。1995年三重県四日市の三重海星中高のそばにサレジオ志願院ができてから22年たっての悲願の四日市志願院卒業生初の司祭誕生です。志願院創立に尽力なさった故溝部修司教様(当時サレジオ会管区長)も大きな喜びを感じておられることでしょう。それにしても少年期からの司祭養成は、なんと長い時間と多大な労力が必要とされるものか、とあらためて思い知らされます。

成人召命の鷺沼教会出身の西村英樹神学生(横浜教区)は今春から日本カトリック神学院福岡キャンパスでいよいよ神学課程の勉強が始まりました。順調にいけば、三年後に助祭叙階、四年後に司祭叙階です。成人召命の場合は教区司祭の場合、六年で司祭叙階にたどり着くことができます。

ところで、65歳で司祭になった音楽家のことをご存じでしょうか。
イタリアのバイオリン制作で知られるクレモナ出身のモンテヴェルディ(1567-1643)です。ルネッサンスとバロックという音楽史の二つの時代を生き、活躍した音楽家として知られる彼は前半期をマントヴァの宮廷音楽家として過ごしました。その後ローマに出て本格的な教会音楽家を目指しますが受け入れられず、ヴェネチアへ移住します。やがて、サン・マルコ大聖堂の楽長に就任し、以後40年にわたってヴェネチアで活躍することになります。この時彼はすでに妻と死別し、二人の息子も成長していたので、神に身を捧げる決心をし、1632年司祭叙階の恵みを受けました。その後、音楽家として、司祭として11年間の晩年を過ごしました。

現在、横浜教区には44歳の西村神学生以外にも50歳を超える水上大神学生(山手教会出身)がいますが、司祭召命にもいろいろな道のりと形があるものです。ところで、スペインの古都アヴィラ出身の作曲家ビクトリア(1548-1611)も司祭です。彼の場合は27歳で司祭となり、フィリッポ・ネリのオラトリオ会員として活躍しました。

主任司祭 松尾 貢

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