明治期、東海道を歩いた仏人宣教師

アイキャッチ用 松尾神父の今週の糧

中島昭子著『テストヴィド神父書簡集 明治の東海道を歩いた宣教師』(ドン・ボスコ社)が刊行されました。出版までのいきさつの発端は、2012年の横浜天主堂献堂150周年行事でした。横浜教区司祭研修会の講師としていらした中島昭子先生(捜真女学園)の講演の中で、「パリ外国宣教会本部のアーカイブで日本関係のパリ外国宣教会司祭の手紙や報告書など2万点ほどのコピーが手許にあります」という言及でした。“2万点”という数字に驚きました。それならば、神山復生病院創立者テストヴィド師の手紙も含まれているに違いない。2万点の中から、テストヴィド師関連書簡に絞って訳すことはできないだろうか。小笠原師を誘って、先生に打診しました。「何通の手紙があるのか、全書簡翻訳は可能か、調べてみます」というお返事でした。学校の責任者として多忙な日々。またご家族と所属教会での役務、プロテスタント史学会での研究発表など超多忙の中で、休みを使って調べてくださいました。「テストヴィドの書簡は10数通、少ないですし、実現可能かもしれません」という前向きのお答え。次は、手書きのフランス語書簡を読み取り、翻訳できるフランス語に堪能な人材探しでした。神奈川2地区の教会で呼びかけました。各教会報などで募ったところ、4名の方が手を挙げてくださいました。それもフランス滞在歴が長い方、お仕事でフランスと関わりの深い方など錚々たるメンバーが揃いました。中島先生を中心に、年に数回、藤が丘教会での検討会を行いながらの4年間の道のりでした。

テストヴィド師は邦人対象初の小教区若葉町教会の主任司祭、明治の初めは横浜県に属していた八王子の被差別部落への宣教と教育活動、東海道沿いに巡回宣教した宣教師、ハンセン病の最初の病院として知られる神山復生病院(御殿場)の創立者です。まさに、横浜教区にゆかりの深い明治の宣教師の代表格ともいえる方です。その神父様の書簡集を横浜教区神奈川2地区宣教司牧委員会の企画として、出版費用の工面も含めて刊行にこぎつけることができたことは意義あることだと思います。

あなたも、この本を手に取って、明治初期の宣教活動、愛の業に励んだ若きフランス人司祭の道程を辿ってみませんか。歴史学者中島先生による書簡が書かれた時代背景の解説も見事なものです。

主任司祭 松尾 貢


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