​使徒パウロから学べること――頑固な限界を乗り越える努力

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パウロの限界は二つあります。まず、第一に「奴隷制度の容認」。そして、第二に「男性優位社会の状況の容認」。パウロは52年から56年頃にたくさんの手紙を集中的に書きました。こうして、彼が古代ローマ帝国の政治情勢の影響を受け、当時の地中海世界の社会的発想の枠組みのなかで生きたことが明らかです。パウロが生きていた当時のローマ帝国には「奴隷制度」が厳然として存在しました。奴隷の身分になった人は、主人の言いなりになって仕えるという生活を強いられました。言わば、奴隷は主人の「所有物」でした。奴隷であることは人間としての価値を一切認められない状態です。発言権もなく、「道具」として主人から使われるだけでした。

しかも、どんな人であっても奴隷に成り下がる危険が常にありました。たとえ、ローマ市民であっても、借金を抱え込みすぎた場合に売りさばかれ、市民から奴隷の身分に転落しました。借金を返済できない市民は身売りするしかなかったのですが、ひどい場合には一族すべてがまるごと売り飛ばされて、お家断絶になりました。一度売り飛ばされると、もとの身分に戻ることは、不可能でした。奴隷には給料が支給されず、とても借金返済をすることができませんでした。

他にも、戦争で負けた民族などが奴隷化を強いられる場合もありました。その場合、それまでは自由の身であった異民族の人びとがローマ帝国の所有物として一生のあいだ重労働を課されました。たとえば、中近東の地元部族の貴族の御姫様であっても、父親がローマ帝国との戦争に負ければ、とたんに捕虜として奴隷の身分で売られる危険もありました。

パウロは根強い奴隷制度と闘いました。彼は奴隷のオネシモを守りました。オネシモの主人フィレモンに対して、わざわざ手紙を書きました(フィレモンへの手紙10―19節)。オネシモはフィレモンのもとから逃げて、獄につながれていたパウロのもとに身を寄せました。おそらく、オネシモは獄中のパウロから洗礼を受けてキリスト者となりました。ですから、パウロにとって、オネシモは親しい仲間であり、協力者です。キリストを信じるときに、教会共同体のなかでは一切の身分差別はなくなります。「キリストにおける平等」という事態が成り立つからです。パウロはフィレモンに手紙を書きましたが、その文面には「オネシモは洗礼を受けて私たちと同じ信仰を生きているので、どうか兄弟として迎え入れてください」という切実なお願いの気持ちが表われます。パウロは、借金の肩代わりをすると言い添えて、オネシモを主人のもとに帰します。

しかし、一方で、パウロは奴隷制度を肯定する文章も書きました(エフェソ6・5―7)。パウロはキリスト者となった奴隷の待遇を「兄弟」として改善するように主人にお願いするような斬新な動きを見せましたが、やはり二千年前の頑固な奴隷制度の前では無力でした。パウロによって、主人を主イエス=キリストに接するかのように敬うことがキリスト者の奴隷のとるべき道として説かれます。目の前に主イエス=キリストが居るかのように相手と関わること。パウロは当時の奴隷制度を覆せずに、生きるときの心構えを変化させることで、難しい局面を打開しました。「相手をキリストに見たてて接する」という態度こそ、キリスト者がもつべき基本姿勢である、というのがパウロの努力に支えられた独特な解釈でした。

現在の私たちがパウロの手紙を読むときには、「キリストを中心にして相手を受け容れる」ことや「相手をキリストであるかのように尊敬してもてなす」という点に重点を置くとよいでしょう。

阿部仲麻呂(協力司祭)


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