​旧約聖書と新約聖書にみる「愛」

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新カトリック大事典(研究社刊)の“あい 愛”という項目をひも解くと、ギリシア語でagape、 eros 、philiaの三つの語が出てきます。

アガペは無償の愛、報いを目指さない愛とし、神様の人間に対する愛はその一番の例と捉えられています。アガペの対極にあるのがエロスですが、本来のギリシア語の意味は下記のように説明されています。

「エロスはギリシア神話の愛の神。存在するものの根源的な力、<神々も逆らうことのできない>盲目的な激しい衝動、万物を結びつける働きである」。

上記の説明からすれば、エロスは一般に使われていることとは違っていることがわかります。<恋は盲目>という表現がありますが、惚れる、好きといった、元来、肯定的な意味合いのものであります。フィーリアは友愛といった訳語が用いられています。

さて、旧約聖書と新約聖書を、この“agape アガペー”という言葉から対比していくと興味深いことが分かってきます。勿論、旧約聖書はヘブライ語、新約聖書はギリシア語で書かれていますから、厳密にいえば対比は無理です。しかし、一つの方法があります。七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)というギリシア語訳聖書との比較です。この七十人訳聖書は離散ユダヤ人のために、エジプトのアレキサンドリアのユダヤ人学者たちが紀元前2世紀頃に、ヘブライ語からギリシア語に翻訳した旧約聖書のことをいいます。

この七十人訳旧約聖書では、アガペーという語は20回しかでてきません。一方、新約聖書では116回使用されています。新約聖書は分量的に旧約聖書の四分の一ですので、アガペーの使用頻度は新約聖書においては旧約聖書の約24倍ということになります。これをどう考えればいいのでしょうか。新約聖書の時代になって、急に人間が理想的な愛すべき存在になったということは考えられません。人間はいつの時代もどうしようもない存在なのですから。

そうすると、新約聖書の新しさというのは、イエスの存在が創り出した新しさであるはずです。純粋で裏切ることのない愛を新約時代の人々はイエス・キリストのうちに見ていたからなのです。

主任司祭 松尾 貢


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