3月の入院の際、塩野七生著『十字軍物語』1~4巻(新潮社刊)を読んだ。大神学生時代、教会史関係の開講科目をほぼ全部受講したのに、十字軍についての講義はなかった。ドイツ人教授に“何故十字軍についての言及がないのですか”と聞くと、教会史において十字軍は大した問題ではない、という答え。しかし現在、教会史を教える立場としては、このテーマは必須。塩野さんの本を読んで、十字軍の発端、第1次~8次の各十字軍の特徴、ビザンチンの状況、兵站の重要性、ベニスやジェノヴァのライバル関係と地中海の制海権、騎士修道会、イスラム側の内部事情などいくらか理解でき、興味深く読了できた。
今年は聖フランシスコがエジプトでスルタンと出会った800周年にあたる。塩野さんの本では第3巻の277頁以下に出てくる。
〈この時期37歳だった聖フランチェスコは、平和の使徒にたつことを決心したのだった。(中略)枢機卿ベラーヨは修道僧の申し出に、初めの内は猛然と反対した。だが、まもなく渋々ながら認めるように変わる。ベラーヨでも、この時期の膠着した状況の打開に何らかの手は打つ必要ぐらいは感じていたのかもしれない〉
〈37歳の修道僧は粗末な茶色の僧衣に革製のサンダルという姿のままで、これ以上の非武装はないという姿だ。そしてその姿のままで敵の陣営地に着いたら、なぜか陣営地の中央に立つ豪華な天幕の中にまで行けたのだった〉
〈姿かたちから宗教から正反対でも2人とも同年配。イタリア人の修道僧はスルタンに平和の必要を説き、それにはスルタンがキリスト教に改宗するのが最善の策である、と説いたのである。イスラム世界では、イスラム教徒に他の宗教への改宗を勧める行為自体が、厳しく禁じられている。それを犯したというというだけで、首を切られても文句は言えなかった。だが、アル・カミールは、自分と同じ年頃のこの西洋人の言葉に、微笑しただけだった〉
教皇フランシスコは、この800年祭に特使として教皇庁東方教会省長官レオナルド・サンドリ枢機卿を派遣され、書簡を託された。その中で、聖人が慈しみ深い「共通の父」としての神の愛を伝えたこと、聖人とスルタンの感動的な精神的対話を思い起こすよう呼びかけられた。
主任司祭 松尾 貢