本日来会し10時ミサ中に助祭奉仕、その後講演をして下さる三田一郎(さんだいちろう)さんは世界的な科学者であると同時に東京大司教区の終身助祭として活躍なさっている方です。
〈助祭〉職について語る最初の文書は使徒言行録です。それによると当時のエルサレムの共同体ではギリシア語を話す信徒から苦情が出てきたので、霊と知恵に満ちた評判のよい7名を祈りと按手によって選んだとあります(使徒言行録6章1~6)。7名の中で具体的な活動が紹介されるのはステファノとフィリポで、2人は福音宣教を行ったり、洗礼を授けたりしていました(8章5、12)。これらは当時の使徒や長老たちが行っていた仕事ですから、彼らは物質的な世話をする一方で、使徒的な仕事にも携わっていたと考えられます。
古代ローマ教会において助祭は司教の補佐として大きな権威を持っていました。助祭は他の聖職者たちを管理し、義援金を分配し、貧しい人びとを世話し、若い聖職者の養成にも携わりました。しかし、10世紀になると西方教会の助祭は司祭になるための前段階と考えられるようになってしまいました。
終身助祭という概念が復活するのは第二バチカン公会議(1962~65年)の時でした。それについて、『教会憲章』29項は「助祭職を聖職位階の固有の永続的な段階として再興することができる」。このように終身助祭をたてることが適切であるかについては、教皇自身の認可のもとに、種々の地域所轄司教団が決めることし、同文書はさらに「結婚している人にも」その可能性を認めています。パウロ6世教皇は1967年の使徒的書簡『聖なる助祭職』によって終身助祭職を認可しました。日本では那覇や高松、東京、さいたまなどの教区が積極的に終身助祭制度を活用していますが、横浜教区は現在、終身助祭はおりません。教区長の判断に任せられているからです。横浜教区は現在、日本の16教区の中で一番多くの神学生がいる教区です。伝統的に活発な一粒会活動、青年司牧活動の実りと言えるでしょう。
鷺沼教会出身の西村英樹神学生は現在神学科3年、順調にいけば来春、助祭叙階の予定です。この場合は司祭職への一過程としての助祭職で、三田師の場合は終身助祭というわけです。“temporal”と“permanent”の違いがありますが、どちらも大切な助祭職といえるでしょう。
主任司祭 松尾 貢