本日、四旬節黙想会の指導をしてくださる澤田神父様は聖パウロ修道会の管区長の重責を担っておられる方です。またローマのグレゴリアン大学で聖書神学を専攻なさった聖書学者でもあります。
聖パウロ修道会は20世紀に創立された現代的な修道会として知られています。「もし、聖パウロが20世紀に生きていたら、絶対に新聞記者になっていただろう」という有名な言葉は、聖パウロ会の創立者・福者アルベリオーネ師によって実現されました。それも単なる新聞記者だけではなく、“マスメディアをよく使う人”と言うべきでしょう。
1884年、北イタリアの農家に生まれた彼は、1907年に司祭叙階。アルバ教区で司牧や神学生養成の仕事に関わりながらも、次々と雑誌を発行していきます。
1912年……『Vita Pastorale』(司牧の生活)
1912年……『La Domenica』(日曜日)信徒用リーフレット
1931年……『Famiglia Cristiana』(キリスト者の家族)
1931年……『Il Gionalino』(小新聞)子供用
特に、『Famiglia Cristiana』はイタリアでは人気があり、各駅のキオスクや街中のBarでも求めることができます。
また、アルベリオーネ師はマスメディアの使命を継続するために、たくさんの修道会を創立したことでも知られています。日本で活躍している修道会としては、聖パウロ修道会(1914年)、聖パウロ女子修道会、ピエタを経営している師イエズス修道会があります。その他にも6つ、計9つの修道会の創立者として知られています。その中にはマスメディアによる宣教のため、宣教者のために祈る観想修道会も含まれています。それらを総称してPaolina Famiglia パウロ家族と呼んでいます。
1949年夏には来日。1971年11月に帰天しましたが、パウロ6世教皇は危篤のアルベリオーネ師を訪れました。2003年、ヨハネ・パウロ2世は師を列福し、インターネットの保護者と宣言なさいました。アルベリオーネ師の霊性は聖パウロ会の聖堂に掲げてある次の文章によって表されています。
“恐れることはない。私はあなたがたと共にいる。ここから照らそう。悔い改めの心を保ちなさい”
主任司祭 松尾 貢