「君は一生懸命走ってるが、道が違うよ」
それほど、珍しい格言ではない。がしかし、聖アウグスチヌスが言うとぐっと重みを増す。ボタンのかけ違いから始まって誤字脱字、計算ミス、人生の道を踏み誤るとなると深刻となる。
天下の灘高、数学の校外模試のとき、万年筆で答案を書いた生徒がいる。聞いてみると修正しないからと平然と言ってのけた。あとで東大の理三に入ったと風の便りに聞いたが、彼は、高校時代からオウム真理教に執心して、後に地下鉄サリン事件に関与して有罪となる。登山道を間違えるとの比ではない。
その昔、一億総懺悔としばし言われたことがあるが、権力を有していた政治家や軍人の指揮官ならいざ知らず、多くの国民が、先の戦争は正しい戦争と考え、「欲しがりません、勝つまでは」、「贅沢は禁物だ」とストイックなまでしゃにむに戦争に突入していった。
悪意からくる行いも困ったものだが、こと善意に固まった考えは末恐ろしい。教会内でも時々対立が噂される。特に教会建設とか司祭館建築での対立、あるいは福音宣教における路線の違い。昂じてくると、対立が極みまで行く。するとある日曜日からごそっと多数の信徒が教会から次の教会への移住が始まり、悲しい分裂となる。意見の違いが起こると、両人ともまず頭を冷やして、聖霊に祈ることが肝要であろう。
主任司祭 長澤幸男