いよいよ、主のご降誕が間近となりました。主を迎える待降節は希望の時です。それはキリストが私たちのもとに来て下さることを大きな期待と望みをもって待つ時であるからです。キリストの到来を待つということには3つの意味があるのを、ご存じかと思います。
1つは、多くの人が考えているような救い主が来られたことを記念し、その誕生であるクリスマスを喜び迎え「待つ」ことです。2つ目は、世の終わり、つまりキリストが再び来られる時を「待つ」ことです。
そして3つ目は、私たちの日常生活の中にキリストが来て下さるのを「待つ」ことです。これは私たちが一番に求めなければならないものです。いろんな困難や苦しみ、あるいは悩みや悲しみが私たちの人生には必ずあります。そんなとき、キリストが私たちのもとに来られ、慰めと力を与えて下さるように祈らなければならないと思います。キリストは心から叫び、求める人のもとには必ず来て下さるということを忘れてはならないでしょう。
主任司祭 西本 裕二