先日、法務大臣の諮問機関が戸籍の氏名に「読み仮名」をつける法の改正に向けて要綱案をまとめたというニュースがありました。これはキラキラネームに一定のルールを設ける案と言われています。この背景には行き過ぎた名前が増えてきて社会に混乱を招く恐れがあるだけでなく、それを付けられた子供の人権にも関わってくるからでしょう。
「名は体を表す」ということわざがありますが、キラキラネームを付けられた子供はどのようにそれを反映していけるのでしょうか。しかし名前と性格が正反対なことも珍しくないかもしれませんので、あまりあてにならないことも確かです。とはいえ、名前はその人を表し、自分が何者かというアイデンティティに関わるものではないでしょうか。
イエスの時代、苗字がなかったので、新約聖書には「ナザレのイエス」という言葉が何度も出てきているように、「ナザレ村のイエスさん」と言わなければ分からない時代でした。またイエスという名前は、ヨセフとマリアが考えたものではなく、天使から告げられたものです。そしてイエスという名前はヘブライ語で「神は救う」という意味で“救い主”を表しています。しかし当時、イエスという名前は、一般的なものでした。
でもイエスという名前は特別な意味を持っています。それはイエスが父なる神から特別な使命をもって派遣され、その使命が何であるかをイエスという名前が示しているからです。
イエスはヘブライ語のヨシュアに由来します。旧約聖書のヨシュアはイスラエルの民を解放し、約束の地に導いた人物です。イエスは私たちを罪と死の束縛から解放し、永遠の命へと導かれます。ですからその名が示すとおり、イエスは“私たちの救い主”として来られた方であるということです。まさしくイエスの名は体を表しています。
私たちもイエスのように、自分が誰であり、使命は何かをしっかりと自覚するためにも、自分の名前に恥じることのないように生きなければならないのではないでしょうか。
主任司祭 西本 裕二