今日、復活節第6主日は「世界広報の日」です。今回、教皇フランシスコは、“心を込めて会話する”ことの大切さを強調されています。そして教皇は「エマオの旅人の話を取り上げて、「復活されたイエスは、悲しむ弟子たちの歩みに尊重をもって付き添いながら、心を込めて話しかけられる。実際、弟子たちはその旅人と話しながら心が燃えるのを感じていた」と語られました。
コミュニケーションは、もちろん先ず会話から始まります。でも大切なのはその会話に心が込もっているかということだと思います。
私たちは普段、人と会話するときに自分中心になって相手の話をあまり聞いていないことが多いかもしれません。教皇が求めているように私自身、相手のことを考えて“心を込めて話しているのか”ということを反省させられます。
心の込もった会話とは、第一に相手の目をよく見てから話します。次に相手の話しをよく聞いてから話します。
教皇フランシスコは、今回、心を込めて会話する人の模範として、聖フランシスコ・サレジオ司教を挙げています。彼は500年ほど前の人物ですが、もっとも輝いていて、今なお魅力的な聖人の一人として教皇は称賛しています。そして聖フランシスコ・サレジオ自身、コミュニケーションとはまさに「人が神への気づきを得るような繊細でありつつ強烈な一本のプロセスが実現する、心の中での、そして心をとおして」のものだと考えていると語られています。
確かにサレジオは、柔和の聖人と言われました。もちろんそれは努力によって得たものですが、それ以上に彼の心に神への愛があったからこそ、カトリック教会に反対していたカルバン派の人に対しても粘り強く相手の話に耳を傾け、“心の込もった会話”で、神のいつくしみを証ししました。
私たちもキリスト者として、人と話すとき、相手を尊重し、大切に考えて、心の込もった会話をすることで、神のいつくしみの心を証ししていかなければならないのではないでしょうか。
主任司祭 西本 裕二