手を繋ぐ人びと

近年、「寺離れ」が目立っていると言われています。それは墓じまいや檀家をやめる人が増えているからです。そのようなことから運営が苦しい寺院は多いようです。
このような寺離れを回避するために全国の寺院ではさまざまな取り組みが行われています。私が以前、テレビ番組で取り上げ、興味を持ったのは、「神谷町の寺カフェ」です。浄土真宗の光明寺の境内のテラスをオープンカフェにして憩いの場としています。テラスからは墓地も見えますが、静かで落ち着いた場所であることから檀家だけでなく、近隣の人や会社員も気軽に足を運んで訪れるそうです。このカフェは若い僧侶たちが企画したもので、お寺のスイーツ好きのお坊さんが手作りのお菓子とお茶でおもてなしをするという試みです。そして静かといっても全く人の気配を感じないわけでもなく、僧侶も常駐し、一人であっても一人でないというのです。そして悩みを聞いているわけでもないのに癒やされて帰る人が多いということです。

この試みが上手く行っているのは、ただ飲食を提供することに留まらず、人と人との交流の場を大切にして、寄り添うことを目的としているからではないでしょうか。

先月、阿部仲麻呂神父が『カトリック教会は刷新できるか』という新書を出版しましたが、この本のタイトルが示すように、カトリック教会も教会離れが目立ち、運営が大変な教区や教会が出てきているということの表れだと思います。
では、カトリック教会が刷新し、再び活性化されるためにお寺と同じようにカフェなど新しい取り組みが必要なのでしょうか。私は単に新しい取り組みをすれば、教会が活性化されるとは思っていません。

先日、都筑教会の一人の高齢信者の女性が私にこう言ってきました。「神父様、教会は本当に楽しいです。毎週仲間と会えて話しができるから嬉しくなります」と言って、ニコニコしながら私に話しかけてくれました。
これは都筑教会が新しい建物になって、人が集まりやすく、人と人との交流の場として良い雰囲気があるからではないでしょうか。毎週多くの信徒の皆さんがミサ後、ホールに立ち寄って、コーヒー等を飲みながら楽しく談話している姿を見ると、教会が生き生きとしているように感じます。ですから、大切なことは交流、交わりの場としての教会の雰囲気作りを考えることではないでしょうか。

教会はミサや葬儀などを行い、人の悩みを聞くだけの場所ではありません。共同体として集い、共に活動する場所です。初代教会が生き生きとして活発だったのは、信徒同士が積極的に交わりを持ち、それぞれの役割を持って、奉仕していたからです。

私は、都筑教会が活性化し、刷新されるための一つの取り組みとして、交流の場としての明るく楽しい雰囲気のある教会作りに力を注いでいけたらと思っています。

主任司祭 西本 裕二


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