明日、国民の祝日である「スポーツの日」です。覚えていらっしゃるかと思いますが、もともと「体育の日」と呼ばれていたものです。東京オリンピックが開催されることを考えて2020年から名称変更されました。日本の祝日の「カタカナ」表記は初めてです。
近年、このようにカタカナ表記されるものが増えてきています。大学の学部には、ソーシャルワーク学部、グローバルエンジニアリング学部、アジア太平洋マネジメント学部など、少し長め、また珍しい名称もあって、ネーミングはインパクトを考えたと思いますが、正直、逆に何を学ぶ学部かよく分からないものもあります。
またコロナ感染症が世界的な拡大を見せていた頃、パンデミック、クラスター、オーバーシュート、ロックダウンなど連日、聞き慣れないカタカナ表記の言葉が飛び交っていましたが、当時、分かり難いという声も結構ありました。
カタカナは、誰もが読みやすく、表記しやすい文字だと思いますが、大事なのは、その言葉がどれだけ人に伝わるか、心に留めてもらえるか、といったことではないでしょうか。
教会においても、主のみ名である「イエス・キリスト」というカタカナ表記の語があります。かつてはカトリック教会では、ラテン語発音から「イエズス・キリスト」という濁音がついた語を用いていました。しかし、1987年に『新共同訳聖書』が刊行されるにあたって、日本において、世間一般に広く知れ渡っていることからプロテスタント教会が使用していた「イエス」という語に統一されました。
私が信徒として教会に通っていた頃、カトリック教会では、まだ「イエズス・キリスト」という語を用いていました。そして私はその呼び名に対して、少し違和感を抱いていたのです。そのために家族や友人に対して、堂々と主のみ名を伝えることができませんでした。
私の知り合いのカトリック信者の方は、「イエス」に慣れるまで時間がかかったと言う方もいましたが、むしろ私はすんなりと受け入れ、使うことができました。それは信者になる前から「イエス・キリスト」という語をごく普通に使っていたからです。
ですから、私は、「イエス・キリスト」という主のみ名を用いることは、とてもありがたく思っています。そして今、堂々と自信をもって伝えることができます。名前の持つ力というのは、自分がそれをどれだけ喜んで用いるかによって変わってくるのではないでしょうか。
主任司祭 西本 裕二