ロザリオを祈る

先月、年に一度の黙想会に参加するために山梨県の山中湖にあるサレジアン・シスターズ雪の聖母修道院に行ってきました。湖沿いにあるので横浜より少し涼しかったので、一週間、落ち着いて祈りと黙想に専念することができました。2日目の晩に一緒にロザリオの祈りを唱える時間がありました。各自でロザリオを持参することになっていましたが、私は持っていくのをすっかり忘れてしまい、仕方なく指でつまぐって唱えました。

10月「ロザリオの月」になりました。2年前、私は、信徒の皆さんに鷺沼教会ニュースの巻頭言で「皆さんはカバンや引き出しなどに大事にしまっているでしょう。しかしロザリオは、祈りの道具であることを忘れないで下さい。道具というのは使って初めて価値が出るものです」といったような偉そうな事を書いた記憶があります。しかし、書いた本人が机の引き出しに入れたまま、ここ最近使っていませんでした。ですから、私自身、ロザリオの祈りを価値あるものとして見ていなかったということになります。本当に反省です。

最近、金(ゴールド)の価格が高騰しています。そして多くの人は金を資産価値の高いものとして考え、投資しています。
金の価値と比べるのは適当ではないかもしれませんが、私たちも何に価値を置いて、人生を生きるかが大事になります。「祈ること」「奉仕すること」、これらはキリスト信者にとって、自分の人生を投資するほどの高い価値のあるものだと思います。そしてその価値は、金のように単に将来の生活の安心につながるといったものではなく、永遠の救いにつながるものです。

そして特にロザリオの祈りは、この世でも力のあるものです。教皇ヨハネ・パウロ2世は、回勅『乙女マリアのロザリオ』(2002年)の中で、伝統的信心業であるロザリオは、キリスト教的祈りの中でもっとも優れたものとして、現代における様々な危機の破壊的な力と戦うため、その実践を強く勧められています。つまり、ロザリオの祈りは、この世の危機と悪に対して、最大の力として働くものであるということです。

そうであるから、ロザリオの祈りを多くの人が心一つにして唱えるならば、世界平和への道が開かれていくのではないでしょうか。

主任司祭 西本 裕二


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