病者の塗油(ピエトロ・ロンギ画)

19年前に初めて主任司祭として働いた教会にいたとき、当時、現役であった教会委員長が突然亡くなりました。彼は私と共に教会のために尽くされ、さらに未熟な私を支えて下さった方でした。彼のおかげで私は教会の運営と主任司祭としての務めを果たすことができました。この方の死因は、スキルス性胃癌というものでした。発見が困難な癌であったので分かったときは手遅れで、家族には医師から余命が宣告されていました。

本当に急なことでしたが入院されて間もなく、私は奥さんから病者の秘跡を頼まれ、すぐに病院へ駆けつけました。しかし、すでに意識が混濁した状態だったので、何はともあれ、病者の秘跡を授けました。
すると驚いたことに、彼は突然、目を開けて、意識を取り戻し、何かを話そうとしていました。ところが聞き取れないまま、またすぐ目を閉じてしまいました。それから私は教会に戻って、しばらくすると奥さんからご主人の訃報の連絡がありました。私はこの時、司祭として初めて「秘跡の力」というものを感じました。

話は変わりますが、先日、都筑教会の高齢男性の信徒の方が危篤で娘さんから頼まれて、同じように病者の秘跡を授けに行きました。すると娘さんからお父さんはあまり元気がないと言われました。ところが病者の秘跡を授けると、元気を取り戻したかのように嬉しそうにして、私が手を触れると、この男性の方から手を握って感謝をしていました。このときも私は「秘跡の力」を感じました。

病者の秘跡は、病人や死に臨む人に対して、病気に立ち向かうための信仰と力を与える秘跡です。それが実際に効果をもたらす秘跡であることは私だけでなく、多くの司祭は、体験をとおして感じているのではないかと思います。またそれは病者の秘跡だけでなく、他の秘跡も同じだと思います。
聖書には「イエスは12人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。」(ルカ9.1)と記されています。これはすべての秘跡の力は、神が司祭をとおして与えるものであることを示しています。

ですから私たち司祭は、神が自分をとおして与えるものとして、喜んで、そして謙虚に秘跡を執行しなければならないと思います。そして「秘跡の力」は、信者の皆さんにとっては、少なくともそれを受けたいと望むことが自分の救いのために、必要ではないでしょうか。

主任司祭 西本 裕二


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