先日、カテドラルで行われた教区司祭月例集会からの帰り道、横浜スタジアム近くで右折のために車で停車中、歩道に目を向けますと高校生くらいの女の子に目が止まりました。ピンク色の作務衣のような和風衣装を着ていたのでとても派手で目立っていたからです。
どこかで見たような衣装だったので少し考えてみたところ、『千と千尋の神隠し』(ジブリ)に登場する千尋の水干と言われるコスチュームで、その日は10月31日ハロウィンでしたので、女の子の姿に腹落ちしました。
昨今、若者の中に個性を出そうと思ってか、派手で目立ったファッションをしている人を見かけます。着こなしを考えたにせよ、ピンク色の水干は服自体の印象はかなり強めです。良く言えば個性的、悪く言えば目立ちたがりのようにも見えますが、いずれにしても大事なのは自分らしさだと思います。自分が本当にそれで良いと思えば、それが派手で目立ったファッションであろうと個性と言えるのではないでしょうか。
確かに個性は大事です。しかし私たちキリスト信者は、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」(ガラテヤ3章27節)と使徒パウロが言っているように、私たちが本当に身にまとうべきなのは「キリスト」です。ですから、私たちの姿を通してキリストを指し示さなければ、私たちの個性は本当の意味で生かされないし、輝かないと思います。
少し話は変わりますが、教区が担当する教会は、教区司祭のそれぞれの色が強く出ると言われます。それで主任司祭が変わる度に教会の雰囲気は変わるということです。修道会が担当する教会はもちろん司祭の色も出ますが、それ以上に修道会のカリスマの色が強く出ます。サレジオ会担当の教会でしたら〝若者を特徴とする″教会の色になります。どちらも個性のようなものではありますが、最も大切なのは、やはり「キリスト」です。私たち司祭がいくら魅力を持っていたとしても、司祭は人からチヤホヤされ、自分に目を向けさせるのが役目ではありません。むしろ司祭の後ろにいるキリストに目を向けさせ、指し示すのが司祭の本来の役目です。従って、私たちキリスト信者は皆、自分が目立つことばかり考えるのではなく、洗礼者ヨハネのようにキリストが主役であることを自覚して、キリストがより多くの人に知られるように、それに徹して生きなければならないと思います。
主任司祭 西本 裕二