亡くなった人を思い起こし、祈ること

教会の祭壇

11月、死者の月に入りました。仏教にもお盆といった死者の月のようなものがあります。仏教では、夏季の4日間(時期は地方によって多少違う)行われる先祖供養の儀式ですが、先祖の霊があの世から帰ってきて、家族とひとときを過ごし、再びあの世に帰っていくといったものです。そのためにお墓参りや仏壇への供え物を行います。その意味は、先祖の霊を迎え、今の自分があるのは先祖のおかげだと感謝供養する行事だと言われています。

カトリック教会の死者の月も似ています。この11月の一ヶ月、私たちは亡くなった家族や先祖を思い起こしてお墓参りや追悼ミサを捧げて祈る時です。死者の月で大事なのは、単に亡くなった人のために祈るだけではなく、彼らを思い起こすことです。仏教のお盆のように、今の自分があるのは家族や先祖のおかげだと感謝するためです。そして、それによって亡くなった人は安らかに憩うのです。

『リメンバー・ミー』(ディズニー)というアニメをご存じかと思います。これはメキシコの死者の日を題材にした内容です。タイトルのリメンバ・ミーとは、「私を忘れないで」といった意味ですが、まさにこれが死者への最大の供養だと思います。つまり、私たちは年に一度亡くなった人を思い起こすことは、忘れないことでもあります。亡くなった人の魂が救われるためには何よりも彼らを思い起こし、忘れないことが大切です。そのために死者の月があると言えます。

私たちは特別な機会が無ければ亡くなった家族や先祖を思い起こすことはあまりしないでしょう。ですから、カトリック教会が一ヶ月というこの期間を私たちに示しているのは、特に死者を意識させるためではないでしょうか。
カトリックのある司祭の言葉に次のようなものがあります。「私は一つの望みが残る。誰か一人でも二人でも私の墓を訪れ、私の霊魂のために祈り、しばしの間、静かにそこに佇むこと、その中の一人が心の清さを保ったことを私のおかげだと言って神に感謝し、他の一人が回心の実を私のおかげだとして墓に眠る私を祝福してくれること、この願いが叶えられれば、私は安らかに憩う」。とても考えさせられる言葉です。

亡くなった人を思い起こし、祈ることは、彼らの救いにつながるだけでなく、「聖徒の交わり」という概念があるように、私たちの救いにもつながる大切なことです。皆さんはこれを心にとめて、死者の月を一緒に過ごすように致しましょう。

主任司祭 西本 裕二


おすすめ記事