【ご報告】2023年 クリスマスのご報告 (動画あり)

アイキャッチ用 クリスマス(2023年)

「クリスマス」(降誕祭)のご報告です。主のご降誕の光が、一人ひとりの心とこの世界を照らして下さいますように。

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《動画》

(12月24日20時「主の降誕(夜半のミサ)」)

《お説教書き起こし》

(12月24日20時「主の降誕(夜半のミサ)」)

今日は救い主の誕生をお祝い致しますけれども、同時に、私たちが、この世に生まれてきたことの意味というものを、一緒に考えてみたいと思います。救い主は、私たちのために、人間の姿で現れて下さいました。私たちとかけ離れた王様とかお金持ちではなくて、むしろ貧しい姿で、それも、何も力もない無力な赤ちゃんの姿で、このようにおいで下さいました。

クリスマスは、ほんとうに深い意味があります。それが、この救い主が誕生した姿にあるのです。
イエスの誕生の物語におきまして、布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている赤ちゃんが、私たちに印として与えられたことを、ルカは記しておりますけれども、すべての民の救い主が、馬小屋という本当に貧しい場所で生まれ、それも飼い葉桶に寝かされました。普通の人間でも、どんなに貧しくても、馬小屋で生まれる人はいないと思います。

神の子がこんな小さな幼子で、しかも貧しく惨めな姿でお生まれになったというのは、小さな人々の中に神の愛が示されているということを私たちに教えるためであります。そして、その愛というのは、人間の内面にまでも深く達するものであります。つまり、この救い主の誕生によって、私たちが貧しさや病気で苦しんでいる人、また罪のうちに愛でいる人たちの心の奥に触れて理解することを望まれたからではないかと思います。
これは、神がどんな人の命をも、かけがえもかけがえのないものとして大切にして受け入れている証拠だと思います。

ですから、私たちは、深く惨めなこのイエスの姿のうちに、命の尊さや人間の尊厳というものを考えてみなければならないと思います。私たちが命の尊さや人間の尊厳を考える時に、全ての人間が神の子であり、神から愛されている存在だということを思い起こすことが大事であります。今、世の中では、人間同士が争う戦争や平気で人の命を奪うような事件、そしていじめを苦にした自殺など、様々なことが起こっております。そのような悲しいニュースを耳にしますと、私たちは嘆きと本当に怒りでいっぱいになります。しかし、多くの人たちは、命の尊さ、尊さというものをあんまり真剣に考えていないように思います。それは、このような悲惨なニュースに対しても真剣に向き合う人が少ないからです。

社会の問題に対しても、自分には関係ないという人がいたり、自分の身に降りかからない限り見て見ぬふりをしたりする人がいます。そのような人は、自分自身の人間らしさというものが失っていることに気が付いていないのではないかと思います。

話は変わりますけれども、だいぶ前ですけれども、新聞のコラムに、「命」と題した詩を書いた11歳の一人の少女の話が載っていました。5歳の時に彼女は、神経芽細胞腫といって、子供がなる代表的な癌の1つだそうですけども、その癌と診断されまして、それ以来手術を重ねて、短い生涯の半分以上、重い病気と闘いながら周りの人たちを励ましていたそうです。本当にすごいと思います。
彼女の書いた詩というものは非常に心を打たれるものがあります。それは、命というものを本当に彼女は深く考えているからです。だいたい次のようなものです。

命はとても大切だ。人間が生きるための電池みたいだ。
でも電池はいつか切れる。命もいつかはなくなる。
まだ使える命を無駄にするのは悲しい。
だから私は命が疲れるというまでは精一杯に生きよう。

このような内容ですけども、この少女は、この詩を書いてから4日後に亡くなっております。この彼女の詩を読みますと、私たちはもっと命というものを本当に大事にしなければならないという気持ちになると思います。
人の命を奪う人も、自分の命を絶つ人も、もっと命の尊さというものを考えてみなければなりません。そして、私たちはそこから、神が自分を生かして、自分の命を本当に大切にして下さっているということを合わせて考える必要があると思います。

教皇フランシスコは昨年の9月のお告げの祈りの際に、1匹の見失った羊の譬えをもって、神は誰一人失うことを望まないとおっしゃられました。誰一人失うことを望まないと。実際、教皇は同性婚やLGBTQについて言及されたこともありまして、そして、同性カップルの権利などについても非常に前向きであります。
教皇フランシスコの考えというのはとてもシンプルだと、長期にわたって同行したドキュメンタリー映画作家はそう言っております。とてもシンプルだと。

それは、すべての人が神の子であり、カトリック教会は全ての人を受け入れる場所だということであります。

今、世界にいる独裁的で横暴な権力者と比べて、教皇フランシスコは謙虚であります。全ての人を受け入れ、誰一人排除しない姿というものを持っています。教皇フランシスコのこのような考えに対して反対の意見もあります。しかし、今日はそんな人の意見に対してもちゃんと耳を傾けて、決して排除したり断罪することはありません。このような姿勢こそ、すべての命を大切にしている証拠だと私は思います。

クリスマス、私たちのために独り子であるイエスを使わされた神の愛というものがあるからこそ、私たちは何よりも命というものを大事にしていかなければならないのです。
教皇フランシスコのように、どんな命も大切にしていきましょう。
そして、悲惨なことが起こるこの時代だからこそ、私たちキリスト信者は命の大切さや人間の尊厳といったものを、神に代わって多くの人に伝えていく使命というものを持つように致しましょう。


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