節分に食べる恵方巻は、これまで大阪の風習でした。しかし近年、節分商戦として恵方巻の販売ポスターやチラシなどをよく目にしますが、関東を含め全国に知られるようになったのは、セブンイレブンが仕掛けたものだと言われています。それがヒットして、スーパーマーケットやファミレスなども追従するようになりました。つまり企業側が消費者に仕掛けたイベントですが、ブームとなり、ブームが文化になりつつあるような気がします。
この恵方巻は、恵方を向いて黙って食べるとされ、恵方の決め方は、十干が関連したもので今年は東北東だそうです。
方角というものを運気にするという慣習は、どの宗教にもつきものです。
たとえば子供の頃、キリスト教ではなかった私は、「北枕は縁起が悪い」と言われてきました。それはお釈迦様が入滅(死ぬ)の際に頭を北、顔を西に向け、右脇を下に向けて横たわる姿勢(涅槃仏)をとったことに由来するということです。しかし本来、仏教の教えでは、北枕は縁起の悪いものとは考えていないようです。
キリスト教においても、「東」が重要とされ、カトリックでも地形の制約が無ければ、教会の祭壇は東側に置くように建てるという伝統があります。都筑教会は特殊な地形ですので、南側に祭壇が置かれていますが、東の理由は、キリストの方角とされ、東は太陽が昇ることから、真の太陽であるキリストを表すものとされています。
ですから、恵方巻ではありませんが、恵方に向いて食べるように、昔、東に向かって祈るという習慣が根付いていました。しかしこれも単なる伝統や慣習に過ぎず、イエスは聖書において「昔の人の言い伝え」(マルコ7章1~15)について触れ、そこで律法学者たちの「必ず守らなければいけない」という考え方を批判しました。
私たちも律法学者たちのように、教会の伝統や慣習を昔からやってきたことだから守らなければいけない、行わなければいけないと思い込んでいるならば、教会の発展の妨げになるどころか、人を苦しめることにもなりかねません。
伝統や慣習は大事です。けれども教会の発展を妨げ、人を苦しめるものとなるならば、私たちは柔軟に、かつ勇気をもって、変えていかなければならないのではないでしょうか。
主任司祭 西本裕二