雲中のイエス・キリスト

今日は、四旬節第1主日で9時ミサの中で2年ぶりに洗礼志願式が行われます。2人の求道者が洗礼を希望して、次の段階である洗礼志願者となります。私たちはこの方々を都筑教会の仲間として喜んで受け入れていかなければなりません。

そこで私たちはそれぞれが先ず自分自身が洗礼志願者を受け入れるにふさわしい者であるかを考えなければならないでしょう。なぜなら、洗礼志願者の皆さんは、私たちの姿を見て、洗礼を望み、教会の仲間入りをしたいと考えているからです。
今回、私は自分が40年前に洗礼志願者となったとき、どのような気持ちであったかを少し思い起こしてみましたが、やはり先輩信者の皆さんが私の仲間入りを本当に喜んでくれて、大勢の前で紹介されたことに私は少し緊張しつつも、感動したように思います。
また洗礼志願式の前に、一人の先輩信者の方が私に言ってくれたことを今でも覚えていますが、洗礼を受けるにあたってとても励みになりました。それは「私は信者として模範的な人間ではないが、でもこんな人間でも神さまは導いてくれていると信じているんだよ」と。私はこの言葉を聞いて、人間は弱く、欠点がある。だからりっぱな信者だとは思っていない。それでも神に信頼して生きている。これがキリスト信者だと思いました。

私たちも気負わずに、ありのままの自分をさらけ出して、新しい仲間を受け入れていく必要があるのではないでしょうか。
そしてこのお互いの関係において、とても大事なのは、四旬節、毎週ミサの中で洗礼志願者のために祈りがありますが、これは洗礼志願者が祈るだけでなく、私たち信者も彼らのために心から祈らなければならないでしょう。それは、彼らと私たちは“祈りで共につながっている”からです。そしてそれが教会共同体を作り、仲間になるということだと思います、ですから、どうぞこれから復活祭に洗礼を受けられる方々のために毎週、彼らを思い起こして、一緒に祈っていきましょう。

主任司祭 西本裕二


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