『子供たちを私のところに来させなさい[マルコ10・14](カール・クリスチャン・フォーゲル・フォン・フォーゲルシュタイン画)』と青空

先日、都筑教会の信徒のご夫婦が生後間もないお孫さんを抱いて日曜日のミサに来ました。ミサ後、主任司祭室にお孫さんを連れてきて、私に紹介してくれました。
私は子供を育てた経験がないのに、電車やバスあるいは街角でもそうですが、こうやって赤ちゃんを見かけると、つい微笑みかけたり、あやしたり、触れてみたくなります。自分の知り合いだけでなく、初めて会う赤ちゃんもなぜ可愛らしく思えるのでしょうか。それはきっと赤ちゃんが自然体で、誰かの助けが必要な存在だからではないかと思います。

聖書でイエスは、一人の子供を呼び寄せて「心を入れ替えて、子供のようにならなければ、決して天の国に入ることができない」(マタイ18章1-5)と言われました。四旬節は、回心のときです。私たちは心を入れ替えて子供のようにならなければ、神の救いに与ることはできません。そのために子供のように、自然体で自分を飾らず、純粋に物事を見る。そして自分の弱さや足りなさを素直に認めて、神に頼って生きなければならないのです。そしてそのような人は、人から愛されるだけでなく、神からもきっと愛される存在となるでしょう。

大人は知恵や体験を積み重ねることで神に近づけると考えます。しかし神は人間の知恵や経験の及ばない方です。それに対して、子供は理屈を超えて、神をとらえることができます。それは子供のように自然体で純粋に物事を見る目が神の心に近いからではないでしょうか。
それだからこそ、私たち大人が神を求め、神の思いを知るためには、子供のようにならなければならないということです。
子供の心を持つためには、子供という写し鏡をとおして、今の自分の心の状態を知る必要があるでしょう。自分の心の状態が分かれば、神の心に近づくための一歩を踏み出せるからです。そしてそれが回心への一歩となるのではないかと思います。

主任司祭 西本裕二


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